旧東海道『神奈川宿』 東神奈川~神奈川

『神奈川宿』は東海道五十三次の日本橋から数えて三番目の宿場町。
「神奈川県」や「横浜市神奈川区」の地名の由来にもなった場所です。

JR東神奈川駅の改札を出ると早速『東海道五拾三次之内 神奈川 台之景』が紹介され
歴史の街であることがアピールされています。

JR東神奈川駅と京急東神奈川駅は隣接しています。
さすが神奈川宿、交通の要衝ですね。

両駅を繋ぐデッキには「神奈川宿歴史の道」という立派なガイドパネルがあります。
神奈川宿の全体感一目で分かって便利ですね。

慶運寺(浦島伝説が伝わる寺)

最初に訪れたのは「慶運寺」です。
通称「浦島寺」とも呼ばれ、浦島太郎が竜宮城より持ち帰ったという観音像が安置されています。
慶運寺という名前がなんとも縁起いいですね。

横浜開港当初はフランス領事館として使われていました。
慶運寺のほかにも、神奈川宿の多くの寺が諸外国の領事館などに充てられました。

本堂は昭和20年の横浜大空襲で全焼したそうですが昭和33年に再興されました。

この建物は観音堂で、「そこから拝観できます」の案内。よく見ると扉に穴が開いています。

穴から覗いてみると、浦島観世音像が見えます。
両隣には浦島太郎像と乙姫像もありますね。

この浦島父子塔も浦島伝説を今日に伝える資料の一つです。

成仏寺

次に訪れたのは慶運寺から徒歩2分の場所にある「成仏寺」です。

鎌倉時代の創建と伝えられる浄土宗の寺院です。

開港当初はアメリカ人宣教師達の宿舎として使われました。
その中にはヘボン式ローマ字で知られるヘボン博士も住まれていたそうです。

出典:Wikipedia

ジェームス・カーティス・ヘボンは「ヘボン式ローマ字」で知られ、初の和英辞典を編纂した偉人。

神奈川宿 高札場跡

神奈川地区センターの北側に、かつての高札場が復元されています。
高札場は法律や掟などを庶民に徹底させるための施設でしたが、明治に入って情報伝達手段が整うにつれて姿を消しました。

わざわざ復元してくれて感謝です。勉強になりますね。

神奈川宿本陣跡

神奈川宿は、滝の川を挟んで東側に神奈川本陣、西側に青木本陣が置かれていました。

残念ながら当時の遺構は見当たりませんが、案内板が設置されています。

こちらが青木本陣跡(案内板のみ)

宗興寺

神奈川本陣跡のすぐ近くにある曹洞宗のお寺です。
こちらもヘボン博士ゆかりの場所です。

開港当時、アメリカ人宣教師で医師でもあったヘボン博士が施療所を開きました。
「ヘボン式ローマ字」だけでなく、多くの功績を残した人なんですね。

神奈川の大井戸

宗興寺の境内の脇に「神奈川の大井戸」があります。
この井戸の水量が増えると翌日の天気を良くなると言われ、東海道を通る旅人から「お天気井戸」と呼ばれていたそうです。

京急神奈川駅 ~神奈川宿の中心部~

和風なデザインの駅舎で屋根がちょんまげっぽく見えます。
明治5年の鉄道開業の際に設けられた神奈川停車場は、すぐこの南側に設置されていたそうです。

ガイドパネルを見ると、この辺りが神奈川宿の中心部だったことが分かります。

本覺寺 ~アメリカ領事館にもなったお寺~

鎌倉時代創建の歴史あるお寺ですが、開港当時はアメリカに接収され、約3年間アメリカの領事館でした。

史跡 アメリカ領事館跡の石碑
アメリカは神奈川奉行が横浜に用意した領事館を断り、渡船場が近く湊が見渡せる高台の本覚寺を領事館に希望したと言われています。

本覺寺から横浜港方面の眺め
埋め立てが進んだ現在、湊を見渡すことはできませんが、確かに眺めは良いですね。

昭和20年5月29日の横浜大空襲により、本覺寺の堂宇のほとんどは焼失しましたが、この山門は戦火を免れた貴重な建築物です。

アメリカ領事館時代に、当時日本に存在していなかった西洋塗装法(ペンキ)で建物の彫刻等が塗装されたそうです。
このことが「我が国洋式塗装の先駆け」とされ、全国塗装業者組合建立の合同慰霊碑が建てられています。

大綱金刀比羅神社 ~源頼朝が創建とも伝わる歴史ある神社~

旧東海道沿いにあり、眼下に広がっていた神奈川湊に出入する船乗り達から深く崇められいたそうです。
また、江戸時代には、神社前の街道両脇に日本橋から7つ目の一里塚が置かれていたそうです。
一里=約4kmなので、日本橋から約28kmですね。

昭和60年、裏山が崩壊して本殿・拝殿を喪失したため、神楽殿が仮社殿となっています。
後方の大天狗がちょっと不気味かも・・

境内にある龍神池も風情がありますね。左奥に見える岩屋には弁天様が祀られています。

田中家 ~坂本龍馬の妻「おりょう」ゆかりの老舗料亭~

歌川広重,Utagawa Hiroshige『東海道五拾三次之内 神奈川 台之景』(東京富士美術館所蔵)
「東京富士美術館収蔵品データベース」収録
(https://jpsearch.go.jp/item/tfam_art_db-4324)

横浜市神奈川区台町のあたりは、かつて神奈川湊を見下ろす景勝地でした。
料亭「田中家」の前身である旅籠「さくらや」は、歌川広重の東海道五十三次にも描かれ、高杉晋作やハリスも訪れたそうです。

田中家の前にある案内板です。

神奈川台の関門跡

開港後、外国人が相次いで殺傷されたため、幕府は横浜周辺の主要地点に関門や番所を設けて警備体制を強化しました。

今日はここまでです。
少し戻って京急神奈川駅が最寄りです。
明日はどこへ行こうかな・・

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