日本で最も歴史ある都市公園の一つ「上野公園」(正式名称:上野恩賜公園)は、明治6年(1873年)に開園しました。
約53ヘクタールという広大な敷地には日本を代表する文化施設が集中しています。
また、江戸時代は寛永寺の境内の一部だった上野公園には、江戸時代の遺構も多数残されています。
今回は上野公園の北側の見どころを巡ります。(見どころが多すぎたので記事を2つに分けました)

JR上野駅の公園口をスタートします。
外国人にも大人気の観光名所なので、いつ行っても多くの観光客でごった返しています。
東京文化会館 ~ 建築家 前川國男の代表作 ~

建築家 前川國男が設計した東京都立の音楽ホールです。
前川國男はル・コルビュジエのもとで学び、日本の近代建築の歴史に大きな足跡を残しました。
また、音響設計は奇跡的と評され、世界中の著名なアーティストが公演を行っています。

昭和36年(1961年)に開都500年事業として建設され、日本建築学会賞を受賞しました。
平成15年(2003年)にはDOCOMOMO JAPAN選定 日本におけるモダン・ムーブメントの建築に選定されていて世界的にも価値が認められています。

東京文化会館の片隅には初代の東京都知事 安井誠一郎の像があります。
戦後初めての公選知事として3期にわたり都政を主導し、戦後の東京復興や東京オリンピックの誘致に尽力しました。
東京文化会館の建設は安井誠一郎が手掛けた最後の遺業として記念像が設置されました。
国立西洋美術館 ~ 世界文化遺産 ~

昭和34年(1959年)に開館し、広く西洋美術全般を対象とする唯一の国立美術館です。
実業家 松方幸次郎が収集した「松方コレクション」を中心に、ルネサンスから20世紀半ばまでの絵画や彫刻が所蔵されています。

本館は建築家「ル・コルビュジエ」が設計したもので、「ル・コルビュジエの建築作品-近代建築運動への顕著な貢献-」の構成資産として世界文化遺産に登録されいます。




前庭の彫刻は無料で見学できます。散策のついでに是非どうぞ。
国立科学博物館 ~ 実物大のシロナガスクジラ ~

現在の日本館は、昭和6年(1931年)に東京科学博物館本館として竣工しました。
日本初の本格的な社会教育施設としての博物館建築であることが評価され、2008年に国の重要文化財に指定されています。

D51形蒸気機関車231号が屋外に展示されています。
いわゆる「デゴイチ」の愛称で知られる名機で、主に貨物輸送に用いられました。

屋外展示のもう一つの目玉。地球上で最大の動物「シロナガスクジラ」の実物大模型です。
人が小さく見えます。
野口英世像 ~ 世界を救った細菌学者 ~

黄熱病や梅毒の研究で知られる細菌学者「野口英世」
国立科学博物館の近くに銅像が建ち、その功績を後世に伝えています。

幼い頃に大火傷を負って左手が不自由となり、周囲の支援で手術を受けたことが医学を志すきっかけになりました。
また、平成16年(2004年)から約20年間、千円札の顔をとなりました。

割と二枚目ですね。
東京国立博物館 ~ 日本最古かつ最大の博物館 ~

明治5年(1872年)に創設された日本最古かつ最大の博物館です。
6つの展示館(本館・平成館・東洋館・法隆寺宝物館・表慶館・黒田記念館)に国宝89件、重要文化財653件(2025年4月現在)を収蔵しています。
美術・工芸品の国宝の約10%、重要文化財の約6%を収蔵していることになります。
国宝の数、重要文化財の数ともに東京都が京都府より多いのはこの博物館があるからですね。

本館は昭和13年(1938年)に開館。コンクリート建築に瓦屋根をのせた「帝冠様式」の代表的建築。

特別展や催し物の開催時に開館する表慶館は、明治42年(1909年)に後の大正天皇のご成婚を記念して開館しました。
本館と表慶館は建物自体が重要文化財に指定されています。
旧東京音楽学校奏楽堂 ~ 日本初の本格的な音楽ホール ~

日本初の本格的な音楽ホールである「旧東京音楽学校奏楽堂」は重要文化財に指定されています。

明治23年(1890年)、東京音楽学校(現東京芸術大学)の校舎として建設され、瀧廉太郎を始めとする幾多の音楽家を輩出しました。
建物の老朽化が目立つようになり、昭和62年(1987年)に上野公園内に移築復元されました。
上野動物園 ~ 日本最古の動物園 ~

明治15年(1882年)に開園した日本最古の動物園
年間来園者数(2023年度326万人)は国内最多です。

2025年7月現在、日本で唯一パンダに会える動物園ですが、その返還期限(2026年2月)が迫っています。

ちょうど、この辺りが上野公園の真ん中になります。
小松宮彰仁親王の銅像 ~ 軍事と人道支援でリーダーシップ ~

小松宮彰仁親王は皇族でありながら率先して軍務に就き、戊辰戦争や西南戦争で指揮を執り、日清戦争では大総督として活躍しました。
一方、日本赤十字社の初代総裁を務め、赤十字活動の発展にも貢献しました。

明治45年(1912年)、日本赤十字社設立25周年を記念して銅像が建てられました。
制作は日本の西洋式彫刻の先駆けとして知られる大熊氏廣です。
上野東照宮 ~ 三大東照宮の一つ ~

寛永4年(1627年)、藤堂高虎と天海僧正により寛永寺境内に家康公をお祀りする神社として建立されました。
石造明神鳥居は江戸幕府の老中・大老を務めた酒井忠世が寛永10年(1633年)に奉納しました。
関東大震災でも全く傾かなかった頑丈な鳥居で、国の重要文化財に指定されています。

上野東照宮には諸大名より石灯籠が約200基と銅灯籠が48基奉納されており、参道に並ぶ様は圧巻です。

上野東照宮の参道から見える旧寛永寺五重塔は国指定重要文化財です。
五重塔は寛永8年に上野東照宮の一部として建立されましたが、明治の神仏分離令によって取り壊し対象となったため、東照宮から寛永寺の所属へ変更しました。
しかし、寛永寺から距離があり管理が難しいため、昭和33年に東京都に寄付され、現在は上野動物園内にあります。

唐門両側に建つ6基の銅灯籠は、内側より紀伊・水戸・尾張の御三家より寄進されたものです。

重要文化財に指定されている社殿や唐門は慶安4年(1651年)に三代将軍家光が造営したものです。

唐門の四額面には昇り龍・降り龍の彫刻があり、毎夜不忍池の水を飲みに行くという伝説があります。

拝観料500円払って唐門の中に入ってみました。
御神木の大楠は幹周囲約8メートル、高さ約25メートル、樹齢約600年です。
大きすぎて画角に収まりません。
東照宮創建より前からこの地を見守り続けています。

現存する社殿は慶安4年(1651年)に三代将軍家光の命により日光東照宮に準じた金色殿に立て替えられたものです。
参道側から拝殿、幣殿(石の間)、本殿の3つの部屋から構成される権現造りです。

菱格子の向こう側が透けて見えるので「透塀」と呼ばれています。
中で将軍がお参りをした時に外から警護ができるように社殿の東西南北が透塀で囲まれています。
透塀の上下には緻密な彫刻が施され、上段には野山の生き物と植物、下段には海川の生き物が生き生きと表現されています。

社殿外壁の彫刻は鷹・鶴・鳳凰や獅子が力強く表現されているほか、松・菊・牡丹などの植物も美しく施され、細部まで凝っていて豪華です。

徳川家の象徴である三つ葉葵の家紋が無数に配置されています。

唐門の正式名称は唐破風造り四脚門。内側から見ると金色の柱と精巧な彫刻が相まって一際美しいです。

戦争や震災にも倒れることなく現在に至っており、社殿・唐門・透塀、見るもの全てが重要文化財です。
上野でこれだけスゴいのですから、日光東照宮にも行ってみたくなりますね。
上野公園の見どころはまだまだありますが、紹介しきれないので今日はここまでです。
つづきは関連記事を是非ご覧ください。

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