江戸時代に整備された五街道の一つ「東海道」には歴史の痕跡を今に伝える名所旧跡が数多く残されています。
今回ご紹介する鶴見から新子安までのルートには、生麦魚河岸通りや生麦事件碑、由緒ある寺社などが点在しています。
旧東海道の歴史スポットを巡りながらのんびり歩いてみませんか。

京急鶴見駅の東口をスタートします🚶🏻➡️

駅を出ると既にそこは旧東海道です。
前回、八丁畷からここまでの散歩ルートをご紹介しましたので、今回はその続編となります。

サボテン茶屋跡

50mほど歩くと早速右手に現れるのは「覇王樹(サボテン)茶屋跡」の碑です。
江戸時代、ここには旅人たちを驚かせた巨大なサボテンがあり、「覇王樹(サボテン)茶屋」と呼ばれる茶屋があったそうです。

石碑には『旧東海道鶴見 覇王樹茶屋跡』と刻まれ、続いて「みぎひだり つのを出して世の中を 見たるもおかし さぼてんの茶屋」と記されています。
この茶屋の店先にあった巨大なサボテンは明治の大火で焼失してしまいましたが、この石碑が東海道の歴史を今に伝えています。

現在は「ESPLAN(エスプラン)」というお洒落なパン屋さんに変貌していますが、実はこのパン屋さんの前身が「覇王樹(サボテン)茶屋」であり、同じ一族(塩田家)が経営しているそうです。
「覇王樹(サボテン)茶屋」の創業はなんと1679年(延宝7年)、5代将軍・綱吉の時代から約350年続く歴史をもっています。
当時、東海道の鶴見界隈には多くの茶屋が軒を連ねており、その中の一軒が「覇王樹(サボテン)茶屋」でした。
ある日、九州土産の「うちわさぼてん」を店先に植えたところ、大きく育ち、4mにも育ったことで「覇王樹(サボテン)茶屋」と呼ばれるようになり、幕末の志士「坂本龍馬」や、江戸初期の剣術家「宮本武蔵」も立ち寄ったと伝わっています。

「ESPLAN(エスプラン)」のモーニングセットにある「さぼてん珈琲」には少し心を惹かれますね。
旧東海道の街並み

しばらくは鶴見銀座(ベルロードつるみ)の商店街が続きますが、旧東海道の面影を残すものは見当たりません。

商店街を抜けると道幅も少し狭くなり、旧東海道の標準的な道幅である3間(約5.4m)に近づいていきます。

江戸時代の街道の幅が3間だったのは、当時の交通事情が反映されています。
1.参勤交代で大名行列同士がすれ違うことができる最低限の幅であること。
2.旅人だけでなく、荷物を運ぶ馬や人足が頻繁に行き交うためのゆとりが必要だった。

幅1間(約1.8m)くらいの自動車が運搬の主流となった現代においては、自動車同士がすれ違うのがやっとという3間の幅は狭く感じますが、当時はこれで十分な道幅だったということですね。

さて、ここは旧東海道と国道15号が交わる下野谷町入口の交差点です。
一瞬、迷いますが、正面に見えている一番細い道が旧東海道です。
JR国道駅

しばらく進むとJR国道駅の高架が見えてきます。


JR国道駅は昭和5年に開業した鶴見線の駅ですが、その高架下は開業当時の昭和レトロ感が漂う駅として鉄道ファンだけでなく、廃墟マニアや写真家にも人気の駅です。


コンクリート剥き出しの薄暗い空間が戦前を想起させます。
最近、少し改修して以前のようなレトロ感が薄れましたが、以前は日活映画に度々登場するなどロケ地としても知られています。

戦前からの駅舎とあって、戦争の爪痕が生々しく残されています。
国道15号側の外壁にある無数の穴は、第二次世界大戦中の機銃掃射の痕であり、この駅が歩んできた激動の歴史を無言で物語っています。
慶岸寺

国道駅から300mほど進んだ場所にある「慶岸寺」は旧東海道に面した浄土宗の古刹です。

参道口の地蔵堂には宝永6年(1709年)造立の「子育地蔵尊」が安置されています。

江戸時代、この地蔵を別の寺に運ぼうとしたところ、慶岸寺の門前で急に重くなって動かなくなってしまったため、ここに安置することになったという不思議な伝説があります。
また、漁師が子供の病気平癒を祈ったら治ったという伝説があり、古くから安産や子供の無病息災を願う地元の人々の信仰を集めています。

境内にある「七福神集いの小径」は七福神全員の石像が勢ぞろいしたパワースポットです。

通常の「七福神めぐり」は、各寺社を一つずつ回って神様を訪ねますが、ここでは一度にすべての神様のご尊顔を拝むことができます。
白い砂利が敷き詰められた静謐な空間に、愛嬌のある七福神の像が立ち並んでおり、とても縁起の良い雰囲気が漂っています。

赤い前掛けをした六地蔵尊もいらっしゃいます。
六地蔵とは、仏教における「六道(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上)」の世界で人々を救うために、それぞれの世界に対応して祀られた6体の地蔵菩薩のことです。


境内には可愛らしいウサギの置物が隠れるように置かれていて、心を和ませてくれます。
生麦魚河岸通り


慶岸寺周辺から約300メートルほどの通りは「生麦魚河岸通り」と呼ばれ、約20軒の鮮魚店や加工業者が軒を連ねます。

江戸時代の漁師町からの伝統を受け継ぐ通りで、旧東海道を散歩する観光客にも人気のスポットです。

築地や豊洲のような大規模な市場とは一味違う、地域に根ざした「魚の街」としての魅力があります。

生麦の魚河岸は、かつて徳川将軍家に魚を献上していた「御菜八ヶ浦(おさいはちがうら)」の一つであり、今でも「プロの目利き」に触れる鮮度と品揃えを誇ります。

プロの仕入れを行う朝8時半~10時半頃が品揃えが良く活気がありますが、お昼を過ぎると閉まってしまうお店が多くなります。また、日曜・祝日・水曜不定休が休業日なので訪れる際はご注意下さい。
道念稲荷神社

魚河岸通りを過ぎてしばらく歩くと、右手に道念稲荷神社が鎮座しています。
「道念」とは、この神社を建立したと伝えられる僧侶「道念和尚」に由来します。

道念稲荷神社は、約300年続く奇祭「蛇も蚊も(じゃもかも)祭り」発祥の地として知られる神社で、商売繁盛・五穀豊穣に加え、疫病退散や家内安全の守護神として親しまれています。

「蛇も蚊も祭り」の由来は、江戸時代に生麦周辺で悪病が流行した際、茅(かや)で作った蛇に悪霊を封じ込めて海に流したのが始まりとされています。

毎年6月の第1日曜日に行われ、萱で作った長大な蛇体を担いで『蛇も蚊も出たけ、日和の雨け、出たけ、出たけ』大声で唱えながら町内を回ります。
この伝統行事は横浜市の無形民俗文化財に指定されています。
生麦事件発生場所

旧東海道を西へ進みましょう。しばらくの間、静かな住宅街が続きます。

うっかり通り過ぎてしまいそうになりますが、T字路手前の道路脇(右側)にひっそりと「生麦事件発生場所」の案内板が建っています。


教科書でも習う生麦事件とは、1862年(文久2年)に江戸から京都へ向かう薩摩藩の島津久光ら大名行列を横切った騎馬のイギリス人が殺傷された事件です。
武士の礼儀観と西洋の外交常識が衝突し、後に薩英戦争へと発展。幕末日本の国際関係に大きな影響を与えました。
生麦神明社

さらに西へ進み、県道6号との交差点を渡ります。

交差点を渡って暫く進むと右手に「生麦神明社」の鳥居が見えます。

「生麦神明社」は天照大御神を祀る神社です。
社殿は小ぶりですが、建築様式は伊勢神宮と同じ「神明造」となっています。

生麦神明社でも6月の第1日曜日には「蛇も蚊も祭り」が行われています。
先ほど立ち寄った「道念稲荷神社」(本宮地区)のものが雄蛇、こちらの「生麦神明社」(原地区)が雌蛇だとして境界で絡み合いをさせた後、海に流していましたが、現在は両社別々の行事となっています。

隣接する生麦神明公園には蛇を模した遊具が設置されています。

現在も続く伝統行事「蛇も蚊も祭り」ですが、江戸時代の祭り当日は東海道も大変な賑わいだったことでしょう。
もし大名行列と鉢合わせになったら、どうしていたんでしょうね・・
そして、「蛇も蚊も祭り」の舞台である生麦の地は、幕末の日本を揺るがした大事件「生麦事件」の現場であることを忘れてはなりません。
生麦事件碑

旧東海道に戻り、散歩を続けます🚶🏻➡️
左側には高速道路が重なり合い、その下には「キリンビール横浜工場」が現れます。

工場の敷地の一部は緑地として開放されていますので、緑地を歩くこともできます。

キリンビール横浜工場では工場見学も実施しています。
またの機会に予約して見学してみるのもいいですね!

キリンビール横浜工場の敷地の外側に横浜市地域史跡「生麦事件碑」が建っています。

生麦事件では4人のイギリス人が被害に遭いました。
そのうち、最初に斬りつけられて深手を負ったリチャードソンは逃走中に力尽き、追撃してきた薩摩藩士によってこの地で止めを刺されたのです。
生麦事件碑は明治16年(1883年)、当時の鶴見の有力者であった黒川荘三によって、リチャードソンが落命した場所に建てられました。
この史跡がある場所は黒川家の私有地ですが、自由に見学することができます。

石碑には事件の概要やリチャードソンへの哀悼の意が刻まれています。
また、石碑の後方にはイギリス国旗が掛けられています。
黒川荘三氏は少年時代にこの事件を目の当たりにしており、異国の地で亡くなったリチャードソンの悲劇を風化させないように私財を投じてこの石碑を建てたそうです。
なお、リチャードソン以外の三人のうち、二人は重傷を負いながらも神奈川宿の本覚寺(当時のアメリカ領事館)へ逃げ込み、一人(唯一の女性)は危険な目に遭いつつも無傷で横浜の居留地へ逃げ帰っています。
東子安一里塚跡

生麦事件碑に手を合わせ、旧東海道を西へ進みます。

ここから先、しばらくは旧東海道と国道15号が合流するため、街道らしさは影を潜めます。

そして、Google Mapに「東子安一里塚跡」と載っていた場所は工事中となっていました。
何かビルを建設するようですが、完成時には一里塚跡地として石碑か案内板を設置してもらえることに期待しましょう。
日本橋から数えて5つ目の一里塚があったことは間違いないので、ここは日本橋から約20kmの地点ということになります。
蜜厳山 遍照院

旧東海道(国道15号)の北側にある「蜜厳山 遍照院」は真言宗の寺院です。

境内を京急本線が走り、山門前に踏切があるという珍しい立地であるため、地元では「踏切寺」という愛称で親しまれています。

長禄2年(1458年)創建の歴史ある寺院で、創建当時は近くの一之宮神社付近にありましたが、徳川家康の江戸入国の後、東海道沿いの現在地に移されました。

新四国 東国八十八ヶ所霊場の第16番札所となっており、御朱印を求めて訪れる参拝者も多いようです。

この寺院にも赤い前掛けをした六地蔵尊が祀られています。

電車が通らない時は静かで落ち着いた境内ですが、電車(特に特急)が通るとかなり音が響きます。
鉄道がなかった江戸時代、東海道沿いの好立地に建つ遍照院は、旅人たちが長旅の安全を祈願する場所として大いに賑わったことでしょう。
新子安駅

京急新子安駅に到着です。

JRの新子安駅とも連絡していますので便利な駅ですね。
今回は鶴見駅から新子安駅までの旧東海道の道のりを歩きました。
少し距離がありましたが、見どころが多くてお薦めの散歩コースです。
歩きやすい靴を履いて、是非出かけて見て下さい!

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