天皇のお住まいである皇居の外周路を走る「皇居ランニング」(通称:皇居ラン)は、日本で最も有名なランニングスポットです。
多い日には1万人を超えるランナーが走るという皇居ランニングコースの見どころと、ランナーを惹き付ける理由をゆっくり歩いて探ります🚶🏻➡️
東京駅から皇居へ

皇居周辺には地下鉄網が張り巡らされていますが、あえて少し離れた東京駅からスタートします。
東京駅丸の内駅舎の中央部には、皇室専用の出入口と貴賓室があります。
天皇陛下をはじめとする皇族や国賓の方々が新幹線などを理由する際に使われます。
「東京駅」の石碑があるので、観光客にとっては人気の記念撮影スポットです。

日本の玄関口である東京駅の丸の内駅舎は国指定重要文化財です。
また、丸の内駅前広場は近代的な高層ビル群の中に整備された広大な公共空間として、日本を代表する都市景観が創り出されています。

そのまま北へ真っ直ぐ伸びる「行幸通り」
「行幸」とは、天皇陛下が外出される際に使われる道という意味です。
イチョウ並木と石畳の景観が美しく、夜にはライトアップされます。


国道1号線の交差点を超えると江戸城のお濠があり、いよいよ皇居外苑です。
行幸通りの両端に建つ石造りの建造物は「元宮城和田倉門守衛所」と呼ばれ、江戸城の和田倉門に付属していた守衛施設です。
重厚でレトロな雰囲気が漂っていて、ウエディングフォトの定番スポットになっています📸✨

右手には和田倉濠に架かる和田倉橋、そして和田倉門跡の石垣が見えます。

和田倉門跡の石垣の前に建つ高札場っぽい標識は、江戸城跡が特別史跡であることを示す制札です。
江戸城跡は歴史的が極めて高く、規模も国内随一であることから昭和38年に「特別史跡」に指定されました。
江戸城は1457年、太田道灌によって築かれたのが始まり。
当時の江戸は、関東を支配していた戦国大名・北条氏の勢力下にあり、江戸城もその防衛拠点の一つでした。
1590年、豊臣秀吉の小田原征伐によって北条氏が滅亡すると、徳川家康が関東に移封され、江戸に入城。
家康は江戸城を本拠地として大規模な改修を行い、政治の中心として整備していきました。その後、三代将軍・徳川家光の時代にかけて城郭はさらに拡張され、壮麗な城下町が形成され、江戸城は約260年にわたり、徳川幕府の政庁として機能し続け、江戸の発展を支えました。
明治維新後は天皇の居所として「皇城」となり、現在は皇居として日本の中心に静かに佇んでいます。

和田倉門跡の北側、内堀通りを渡ると皇居ランニングコースです。
この日も皇居ランナーが走っています🏃🏻♂️➡️
皇居の外周路
桔梗濠

交差点を渡るとまず見えるのは巽櫓で、その奥に桔梗門があります。
桔梗濠と呼ばれるお濠に沿って、反時計回りに歩いていきましょう🚶🏻➡️

巨大な堀と石垣、まさに城ですね。

300メートルくらい歩いたら大手門が姿を現します。
大手門

大手門はかつての江戸城の正門で、慶長11年(1606年)に築城の名手・藤堂高虎によって築かれ、その後、伊達政宗らによって現在の桝形門に改修されました。
当時は10万石以上の譜代大名が警護に務めていたそうです。
現在は皇居東御苑のメインの入口になるため、続々と観光客が入園していきます。

大手門を過ぎると、かなり観光客が減るので皇居ランナーも走りやすそうです。

大手濠の奥に大手濠緑地が見えてきました。
大手濠緑地

東京消防庁前の広場は大手濠緑地と呼ばれており、観光客や皇居ランナーの休憩場所として最適なロケーションです。

緑地には見慣れない人物の銅像が建っていますが、これは和気清麻呂像です。
和気清麻呂は奈良時代末期の貴族で、日本の皇位継承を守った忠臣として知られています。
称徳天皇に寵愛されて異例の出世を遂げた僧侶・道鏡が、天皇の座を狙ったとされる宇佐八幡宮神託事件(769年)が発生しました。
その真偽を確かめるために和気清麻呂は宇佐八幡宮へ派遣され、「皇位は皇族が継ぐべき」との神託を得て、道鏡の野望を阻止しました。
昭和15年(1940年)、天皇家の正当性を守った功績を讃えて建てられた銅像です。

かつてこのイチョウが存在した一ツ橋の文部省構内は、関東大震災で焼け野原となりましたが、イチョウだけは奇跡的に生き残りました。
この奇跡の「震災イチョウ」は帝都復興のシンボルとして大手濠緑地に移植され、現在も元気な姿を見せています。
イチョウは水分を多く含み燃えにくい性質があることから、関東大震災以降に街路樹として植樹が広がりました。


皇居内堀沿いを通る環状道路は、通称「内堀通り」と呼ばれ、「城郭と高層ビルの道」として日本の道100選のひとつに選定されています。
江戸時代の歴史を偲ばせる城郭や掘割を望み、一方では近代的な高層ビル群が建ち並ぶ美しい景観が評価されています。
平川門・平川橋

平川門の手前からしばらくの区間は歩道脇が緑地帯になっています。

平川門は元和6年(1620年)に伊達政宗らによってつくられた江戸城三の丸の正門です。
「平川門」という名前は、かつてこの周辺が平川村という地名だったことに由来します。
また、本丸大奥に通じる奥女中の通用門だったため別名「お局門」、場内の死者や罪人などの出口とされていたことから「不浄門」とも呼ばれていたそうです。

平川門に架かる平川橋は太鼓型の反りが特徴的で、江戸時代の橋の形をそのまま再現しています。
この橋は皇居東御苑の入口としても使われていますが、大手門に比べると観光客が少なく、手荷物検査で行列ができることはなさそうです。

欄干に残る擬宝珠はもともと二重橋に使われていたもので、明治20年の架け替えの際に平川橋に転用されました。思わぬところに江戸時代の気配を感じることができますね。
太田道灌公 追慕之碑

平川橋付近にある3つの石を組んだ石碑は「太田道灌公 追慕之碑」です。
室町時代の武将・太田道灌は長禄元年(1457年)に江戸城を築城しました。
江戸・東京の繁栄と発展の基礎を築いたとも言える太田道灌の没後450年を偲んで昭和11年(1936年)に建立された追慕碑で、虎ノ門の石垣の一部が使われています。

太田道灌(1432-1486)は、扇谷上杉家の重臣として三十数戦して負け知らずの名将であり、和歌にも通じた教養人としても知られています。
当時の江戸は湿地が広がる未開の地でしたが、道灌は武蔵野台地の東端という地形を活かして江戸城を築きました。
竹橋・竹橋門跡


左手に江戸城の石垣、右手に毎日新聞本社ビルを見ながら、緩やかな上り坂を進みます。

竹橋の交差点で一旦「内堀通り」とお別れして、ここから千鳥ヶ淵までは「代官町通り」になります。

皇居の北側に位置する竹橋の交差点まで来ると、橋のほとりに小さな広場があります。

清水濠に架かる「竹橋」は江戸城内郭に通じる重要な門「竹橋門」に由来する歴史ある場所です。

門の名は、竹で編んだ橋が最初に架かっていたことに由来します。(諸説あり)
竹橋門は元和6年(1620年)に伊達政宗らによって築かれました。
現在の竹橋は大正15年(1926年)に帝都復興事業の一環で架けられたアーチ橋ですが、江戸時代とほぼ同じ位置に架けられています。

竹橋門の石垣の多くは撤去されていますが、竹橋の北側に広がる清水濠の石垣は残されています。

橋の西側には「竹橋御門跡」の石碑も設置されています。

かつての竹橋門の跡地には「東京国立近代美術館」が建っています。
建設時の発掘調査では江戸時代の城郭遺構も確認されており、まさに、現代アートと江戸の記憶が重なっている場所です。

代官町通りの上り坂をさらに進みます。
石垣の高さを見るとかなり高いところまで上って来たことが分かりますね。

右手には「国立公文書館」が見えます。
国の行政機関などから移管を受けた歴史資料として重要な公文書等が保存管理されています。
北桔橋門

北桔橋門が見えてきました。
この周辺は江戸城内で最も濠が深く、石垣の高さは20メートル以上にもなります。
石垣の角(隅部)を強固にするため「算木積み」と呼ばれる工法が用いられています。

大木が小さく見えるくらい大迫力の石垣です。

北桔橋門付近から平川濠を望む景色も圧巻です!

北桔橋門は本丸北端に位置し、門の名前は“有事に備えて跳ね上がる構造の橋があったこと”に由来しますが、漢字で書くと北跳橋門ではなく北桔橋門です。
現在の橋は跳ねませんが、門の柱には滑車を吊るした金具が今も残されています。
北桔橋門を入ったすぐ正面に江戸城の天守閣があったため、この門は江戸城北側の守りの最重要地点でした。

北桔橋門の対面は「北の丸公園」の入口になっています。
公園の駐車場に並ぶ車の長い列が出来ていました。
代官町通りに架かる歩道橋(みたけ橋)を使って行き来する人も多く見られますが、今回は皇居ランニングコースに沿って直進します。
乾門

北桔橋門と乾門の入口は近く、その間は「乾濠小公園」になっています。
『森の調べ』という笛を吹く乙女の銅像があり、多くの観光客が休憩しています。

乾濠小公園から撮った北桔橋門です。
ここから見るとちょっと怖いくらいの高さです💦
江戸時代初期にはこの門の奥に天守閣が聳え立っていたはずです。

乾門は皇居の北西に位置する門で、江戸城の「乾(戌亥)」の方角にちなんで名付けられました。
江戸時代、この場所には将軍が武芸や祭礼を見物する「上覧所」がありました。
旗本たちが鍛錬の成果を披露し、天下祭と呼ばれる山王社(現在の日枝神社)と神田明神(神田神社)の祭礼行列もここに立ち寄りました。
乾門は皇居東御苑ではなく皇居の出入口になるため、通常は立ち入ることが出来ません。
ただし、春と秋に行われる「皇居乾通り一般公開」の際は乾門が出口として使われます。
春は桜、秋は紅葉が大変美しいそうです。 詳細は宮内庁HPをご確認ください。
旧近衛師団司令部庁舎

乾門の前を通過してすぐ右手には赤レンガ造りの「旧近衛師団司令部庁舎」が見えます。
代官町通りや首都高速道を挟んだ向かい側にあるため、見過ごしてしまいそうになりますので注視して歩きましょう。

「旧近衛師団司令部庁舎」は陸軍技師・田村鎮の設計により、明治43年(1910年)3月に建てられました。
近衛師団は大日本帝国陸軍の師団の一つで、一般師団とは異なり最精鋭かつ最古参の軍隊として天皇と皇居を警衛する任務を担っていました。
戦後は取り壊しの危機に瀕しましたが、建築家・谷口吉郎の保存運動によって国の重要文化財に指定され、後に東京国立近代美術館工芸館として活用されました。
現在は工芸館が石川県に移転したため、建物の外観のみ公開されています。
乾門~千鳥ヶ淵交差点

代官町通りの歩道を進みます。この辺りは歩行者も車も少なく静かな場所です。
上り坂を超えたところなので皇居ランナーも気持ちよさそうに走っています。

道の向かい側は千鳥ヶ淵の土手になっており、緑豊かな通りです。

代官町通りと内堀通りが交差する千鳥ヶ淵交差点です。 皇居の北西の端に位置します。

交差点からは緑豊かな半蔵濠が見えます。
千鳥ヶ淵公園

内堀通りと半蔵濠の間は千鳥ヶ淵公園になっています。
皇居ランナーは内堀通りの歩道を走りますが、狭いので左側の公園を歩くことにしましょう。
ちなみに、内堀通りの右側には英国大使館があります。

千鳥ヶ淵公園は桜の名所として有名です。
ソメイヨシノのほか、サトザクラ・マイヒメ・ベニシダレといった品種が植えられており、春には多くの花見客で賑わいます。

公園中央部には「見晴らし台」があります。

見晴らし台からの眺望です。
周囲の木々の緑が水面に映り込んでいるのか、半蔵濠の水も少し緑っぽく見えます。


公園内には地味ですが様々な石碑もあります。
こちらは「消防練習所跡地」の碑です。
大正2年(1913年)に日本初の消防訓練所が創設されたことを記念する石碑です。

こちらは「麹町高等小学校校舎跡」の碑です。
明治時代の学校制度では、まず「尋常小学校」が義務教育の基本で、その後さらに2年間の「高等小学校」に進むことで、より高度な学問を学ぶことができました。
麹町高等小学校は東京の官庁街に近い地域の子どもたちに向けて、より進んだ教育を提供していました。
いわゆるエリート進学校ですね。
半蔵門

皇居の最西端に位置し、天皇陛下や内廷皇族(皇后陛下、皇太子ご一家など)専用の出入り口です。
名前の由来は諸説ありますが、徳川家の家臣・服部半蔵正成にちなんで名付けられたという説が広く知られています。

服部半蔵は徳川家康の生涯で最大級の危機とされる「伊賀越え」の際に家康を救ったことで知られ、信頼の厚い家臣でした。
家康が入府した際、江戸城の西口にあたるこの辺りが地形的に最も守りが弱かったため、信頼の厚い服部半蔵ら伊賀衆をこの門の守備にあたらせました。

半蔵門の交差点は内堀通りと新宿通りが交差します。
江戸時代に整備された五街道の一つ、甲州街道は日本橋から現在の新宿通りを経て甲斐国(山梨県)へ至る要路として栄え、半蔵門の前は当時から交通の要衝だったと考えられます。

半蔵門付近の濠の深さと整備された緑地が見事です。

壮大なスケールの桜田濠とその奥に建ち並ぶ霞ヶ関官庁街が重なり合い、時代を超えた風景として写真に収めたくなるアングルです。

それでは、桜田門へ向かって進みましょう🚶🏻➡️
三宅坂

半蔵門から桜田門までの緩やかな下り坂は「三宅坂」と呼ばれ、江戸時代にこの坂の途中にあった三河国田原藩・三宅家の上屋敷があったことに由来します。

皇居の向かい側に建つ国立劇場は、日本の伝統芸能を保存・振興するための劇場として昭和41年に開館しました。
歌舞伎や文楽、雅楽などを上演するほか、伝承者の養成も行っています。(現在は建て替えのため閉場中です)

三宅坂のバス停付近を気持ちよさそうに皇居ランナーが駆け抜けます。

国立劇場の隣にある建物は最高裁判所です。
日本の司法制度における最高機関であり、“憲法の番人”と呼ばれます。
江戸時代には三宅家の上屋敷がありました。

桜田濠は江戸城の外濠の中でも最大級の規模を誇り、水面の幅は広いところで約115m、上端の幅は215mにもなります。


最高裁判所の角にある三宅坂交差点は青山通りの起点でもあります。
青山通りは国道246号のうち、三宅坂交差点から港区赤坂・青山を経て渋谷駅東口交差点に至る大通りの通称です。
ちょっとだけ、国会議事堂の中央塔が見えますね。


三宅坂交差点を過ぎると、彦根藩・井伊家上屋敷跡があります。
幕末の大老・井伊直弼もこの地に居住していました。
現在は衆議院憲政記念館となっていますが、ちょうど建て替え工事中です。
江戸の政の中枢を担った井伊家の地に、今は日本の議会政治を記念する施設が建ち、時代を超えて政治の中心であり続けています。

そして、桜田門が見えてきました。
井伊家上屋敷から約500mほどの距離です。

国会前交差点を通り過ぎます。 国会議事堂の中央塔の上部がはっきり見えますね。

桜田門が近づいてきました。
日本史の年表に必ず記載されている「桜田門外の変」の発生現場付近です。


桜田門交差点に建つ警視庁の本部庁舎。東京で何か事件が発生するとニュースで映る建物です。
ちなみに「警視庁」は東京都を管轄する警察本部であり、東京にしかありません。
その代わり、他の46道府県では「〇〇県警察」や「〇〇府警察」呼ばれる地方警察が存在します。

警視庁の向かい側には「法務省旧本館」があります。
法務省旧本館は、近代化を急ぐ明治政府がドイツ人建築家を招き、旧司法省庁舎として明治28年に竣工しました。
その後、空襲によりレンガ壁を残して焼失したものの、改修して法務省本館として利用されました。
さらに、平成6年に創建時の姿に復原され、国の重要文化財に指定されました。
桜田門

桜田門は正式には「外桜田門」といい、本丸に近い「内桜田門(桔梗門)」に対してこの名前が付けられました。
また、「桜田」の名は、この地が古代に「桜田郷」と呼ばれていたことに由来します。


外側の高麗門と内側の渡櫓門の二重構造からなり、外枡形という防御性の高い城門となっています。
桜田門(旧江戸城外桜田門)は江戸城の遺構として歴史的・建築的価値が極めて高いため、昭和36年に国の重要文化財に指定されました。
皇居外苑

桜田門をくぐると、広々とした皇居外苑に出ます。

また、健康マラソン時計塔があり、皇居ランナーの定番スタート地点として親しまれています。
周回コースは1周約5kmです。
1周20分くらいで走る上級者もいますが、初心者であれば40~50分程度のコースです。

案内板にはランニングコースと周辺の名所、皇居ランナーが守るべき9つのマナーが記載されています。


皇居ランナーは内堀通りを左折していきます。

皇居の中心部(御所や宮殿など)は宮内庁が管理していますが、皇居外苑は環境省が管理する国民公園で、広大な芝生広場に黒松が点在する景観が特徴です。


皇居ランナーは二重橋前の交差点も通過していきます。
皇居前広場の入口に並ぶ丸い石は、テロや暴走車両の侵入を防ぐための車止めです。
1つの石の重さは約2トンあり、必要な時は警察がフォークリフトで移動します。
腰掛けるのに丁度よい高さなので、観光客が石に座って休んでいる姿をよく見かけます。

折角なので、皇居ランニングコースからは外れますが、「二重橋」を見学していきましょう。

「この石橋が二重橋です」と言いたいところですが、こちらは「正門石橋」です。
よく見ると、「正門石橋」の奥にあるもう一つの橋が「二重橋(正式名称:正門鉄橋)」です。
ただし、正門石橋と正門鉄橋の二つを総称して二重橋と呼ばれることが多いのも事実です。

厳密には、こちらが「二重橋(正門鉄橋)」です。
残念ながら、令和7年9月中旬~令和8年1月まで高欄部分の塗替え工事を実施中でした。
工事終了後には美しい姿が見られることでしょう。

「正門鉄橋」は、かつては木橋で、その下に橋桁を支えるもう一つの橋があったことから「二重橋」と呼ばれるようになりました。

「正門石橋」と「二重橋(正門鉄橋)」は、普段は閉ざされていますが、新年(1月2日)や天皇誕生日の一般参賀の際には正門が開かれ、歩いて渡ることができます。
皇居から東京駅へ

ようやく皇居の正面まで戻ってきました。
行幸通りの向こうに東京駅丸の内駅舎が見えます。

奥に見える建物が桔梗門、手前の建物が巽櫓です。

まだたくさんの観光客や皇居ランナーがいますね。
交差点を渡って東京駅へ戻ります。
和田倉門噴水公園・和田倉門跡

行きはスルーしましたが、帰りは和田倉噴水公園で一休みしていきましょう。
和田倉噴水公園のシンボルは昭和36年に上皇陛下のご成婚を記念して作られた大噴水です。
高さ8.5mの大噴水は迫力満点! 旅の疲れを癒してくれます。

和田倉噴水公園内では噴水を見ながらまったりしている人が沢山いました。
公園内にはスタバもあります☕

和田倉門は現在、門跡として石垣のみが残されています。
江戸時代は「蔵の御門」と呼ばれていた和田倉門は、一般人は通行できず、武士だけが通ることを許されていました。

徳川家康が江戸に入府した頃、この辺りは日比谷の入江に面していたため蔵地として整備されました。
古語で海を意味する言葉「わた」が「和田」となり、米などを保管する「蔵(倉)」と合わせて「和田倉」と呼ぶようになったそうです。

現在は枡形門の石垣と昭和49年に改修された木橋風のコンクリート橋が当時の面影を残しています。
東京駅

東京駅に戻ってきました。
最後の写真はKITTE丸の内6階の屋上庭園「KITTEガーデン」から撮影したものです📸✨
皇居ランニングが人気の理由
最後に皇居ランニングの人気の理由をまとめました。
- 信号がない
約5kmの外周をノンストップで走れる - 適度な高低差がある
約30メートルの高低差が程よく、走るリズムに変化が生まれる - 景観が良い
旧江戸城の濠や石垣・門をはじめとする歴史的建造物や風景を楽しめる - 交通アクセスが良い
皇居周辺は交通網が充実(大手町駅・竹橋駅・半蔵門駅・桜田門駅・二重橋前駅など) - 安全性が高い
警備や照明が整っていて、夜でも安心して走れる - ランニングステーションが充実
更衣室やシャワー付きの施設が多数あり、仕事前後でも気軽に利用できる - コース沿いに数ヶ所のトイレがある
- 仲間が多いのでモチベーションを保ちやすい
これらの理由から高い人気を得ているようです。
これだけ多くの理由があれば、人気になるのは当然ですね。
今回は1周約5kmの皇居ランニングコース+行幸通り(往復約0.5km)の街歩きをしてみました。
ランナーに追い抜かれながら、のんびりお散歩ペースで1時間半程度です。
ランナーにも魅力的なコースですが、歩くことで歴史を学んだり景観を楽しむことができますよ。


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