横浜市都筑区にある地下鉄センター南駅から徒歩10分、大規模な中世城郭の跡が存在することを御存じでしょうか? 「茅ヶ崎城址」は1990年頃までは竹やぶに覆われていて、全貌がよく分からない「謎の山」でしたが、近年の発掘調査の結果、「関東屈指の中世城郭遺構」として注目を浴びることになった歴史スポットです。
住宅地開発の最中に歴史的価値が再認識された茅ヶ崎城址をブラブラ散歩してみましょう!

横浜市営地下鉄 センター南駅 5番出口をスタートします🚶🏻➡️
茅ヶ崎城址公園への道のり

駅東側にあるバスロータリーから階段を下りましょう。

歴博通りの高架下を進みましょう。

住宅街の道を右折します。(標識や目印はありません)

右手に見える階段を上ります。

階段を上ると茅ヶ崎城址公園です。
左に行くと北郭側(公園の正門)がありますが、今回は右へ進んで西郭側から登城することにします。


茅ヶ崎城は早渕川を北に臨む自然の丘を利用して築城されました。
「空堀」「郭」「土塁」などが良好な状態で残る貴重な中世城郭遺跡です。

茅ヶ崎城は14世紀末~15世紀前半に築城されたと推定され、15世紀後半に最も大きな構えとなりました。
16世紀中頃には二重土塁とその間に空堀が設けられました。(この築城方法は後北条氏独特のものとされる)
室町時代には相模・南武蔵を支配していた上杉氏、戦国時代には後北条氏が関与していたと推定されています。
その後、16世紀末までには、城としての役割を終え、江戸時代には徳川氏の領地となり、村の共有地などとして利用されていました。
平成2年から平成10年にかけて発掘調査が行われ、空堀や土塁等の遺構が良好な状態で残されていることが明らかになりました。さらに、平成15年・17年にも公園の整備事業に伴い土塁の一部が発掘されました。
その後、横浜市によって歴史公園として整備され、平成20年に「茅ヶ崎城址公園」として開園しました。
築城当時の姿を良好な形で残す中世城郭の貴重な遺跡として、平成21年11月2日には横浜市指定史跡に指定されています。
西郭

では早速、階段を上っていきましょう。

階段を上ると早速「土塁」が現れます!

公園内は分かりやすい標識が建っています。
西郭方面へ進みましょう。

城の出入り口は「虎口(小口)」と呼ばれ、幅が狭くなっています。
これは、①いざという時にすぐに封鎖できるようにする、②敵が侵入しにくくする、という理由があります。

公園内にはこのような説明板が設置されていますので、中世の城郭の構造を学びながら散策することができます。

この場所は左側の中郭、右側の西郭、後方の北郭に囲まれた「北郭虎口」と推定される場所のようです。
当時の掘は今よりもっと深かったので、敵が侵入しようとしても三方から矢を射かけられ、容易には侵入できない堅固な構造になっていたと考えられます。

空堀の中を進みましょう。
遊歩道は舗装されていますので歩きやすくなっています。

空堀の説明板があります。
掘には水堀と空堀がありますが、水がしみ通ってしまうローム層を基盤とする横浜の城では空堀が主流となっています。
また、茅ヶ崎城址の空堀は両側の壁の角度が70度と垂直に近く、またローム層が堅いためよじ登りにくく、防御面で大変優れているそうです。

西郭への階段を上ります。
「郭(くるわ)」とは、城の中にある平坦なスペースのことです。
武将や兵士たちが待機したり、敵を迎え撃つための足場となる場所です。

草が生えていて分かりにくいですが、この遊歩道の右側に平坦なスペースが広がっていますので、この辺りは既に西郭ですね。

西郭の案内板がありました。

ベンチで休憩することができます。

センター南駅周辺の街並みが見渡せます。
天候の条件次第では丹沢山地や富士山が見えるビュースポットです。
西郭 ⇒ 東郭

次は、東郭方面へ向かいます。

西郭エリアと中郭・東郭エリアの中間地点の少し開けたスペースにはベンチが設置されています。

ベンチに座ると、目の前には中郭の高い土塁が見られます。

東郭方面へ向かいます。左手には中郭の土塁がそびえ、右手には竹林が生い茂ります。

竹林エリアに下りる階段がありますが、残念ながら立ち入り禁止になっています。
竹林エリアは「平場」と呼ばれる城郭の一部で、防御スペースとして活用されていたと考えられます。

しばらく進むと遊歩道が分岐しています。
右へ進んで東郭を目指しましょう。
根小屋

緩やかな降り坂の途中に根小屋の案内板が設置されています。

「根小屋(ねごや)」とは、城下町というものがまだない時代(戦国時代以前)に山城の麓に築かれた城主や家臣団の居住地のことです。
山の上は防御には最適ですが、水汲みや食料の搬入などの面で日常の政務には不便だったため、城主は根小屋で生活し、いざ戦となったときのみ城に籠りました。

茅ヶ崎城では南側の麓に東西600mに及ぶ根小屋があったと考えられています。
中郭土橋

東郭へ向かう途中、階段のアップダウンがあります。

階段の最下部に「中郭土橋」の説明板があります。
ここはかつて中郭と東郭の間の深い空堀の底と考えられます。


中郭と東郭は深さ7メートル以上の空堀によって隔てられていましたが、その中央部は「土橋」によって連結され、兵や物資の最低限の移動に使われていました。
「土橋」の上幅は約2メートル。深い掘で分断された郭の間を狭くしておくことで、敵が大軍で攻めてきた際の防御面を考慮していたのでしょう。
特に、中郭側から東郭へ攻める際は高低差が4メートル近くあり、容易ではなかったでしょう。

東郭への階段を攻め上りましょう。
東郭

東郭は茅ヶ崎城の中で最も高い場所(標高35m)になります。
かつては中原街道や矢倉沢街道の街道筋を見渡せるほど見晴らしがよく、物見台の役割も持っていました。


一般的に、連郭式の城では「真ん中(中郭)」が「本丸(主郭」とされるケースが多いのですが、茅ヶ崎城の場合は最も東に位置する「東郭」が、最高所かつ最終防衛ラインという特別な役割を担っていたようです。

即ち、東郭は茅ヶ崎城の「本丸(主郭)」に相当する場所であったと考えられます。

東郭を引き返して中郭へ向かいましょう。

かつて根小屋が建ちなんだエリアには、今は普通の住宅地になっていますね。

先ほど見た分かれ道のところまで戻ってきました。
今度は左側の中郭・北郭方面へ向かいます🚶🏻➡️

標識の上には地図もついていますので、今どこにいて、どの方角を向いているのか分かりやすいですね。
中郭

中郭はその名の通り、茅ヶ崎城址の中央部に位置する郭です。


中郭の南東部の発掘調査の結果、倉庫と思われる建物の遺構が見つかりました。

発掘現場には多数の柱穴や土坑が分布していたことから、東西・南北に軸を持つ「掘立柱建物(ほったてばしらたてもの」が並んでいたことや、南側の土塁との間を塀で区切っていたことが明らかになったのです。
建物1~3からは埋納抗(陶器をまとめて収めるための専用の穴)が見つかったことから、日常的に使う「住居」ではなく、備蓄や保管を目的とした「倉庫」であったと考えられています。
また、建物5からは炭化材とともに焼けた壁土のかけらが多数検出されたことから、焼失した土倉と判明しました。
これらのことから、中郭南東部は「倉庫地区」であることが明らかとなりました。
(遺構の重なりや位置関係から、4~5期の変遷がある)
一方、居住施設としての建物跡は今のところ確認されていません。
恐らく、中世の住居にありがちな煮炊きを行うための「炉(いろり)」や、細かな生活道具が検出されていないということでしょう。

出土した土器に関する説明板もあります。
これらの土器は全てロクロ造りで体部が外反する武蔵型ものがほとんどだったようです。
また、中世以外の土器として縄文土器や弥生土器、須恵器なども出土しており、この丘陵地は大昔から集落が発展していたことが推測されます。


平成12年の発掘調査時の茅ヶ崎城址を示した地形図です。
茅ヶ崎城の場合、「西郭」「東郭」「中郭」「北郭」の4つが主要な郭であり、公園として立ち入ることができます。
また、「東郭」の北東部に接する一段低い位置に「腰郭」、その北西に「東北郭」の存在か確認されていますが詳細は明らかになっていません。さらに、丘陵の中腹には「平場」と呼ばれるテラス状の平坦部が複数見られ、段々畑のような構造になっています。

中郭の北側には土塁の跡が見られます。

一部、土塁が崩れている部分から見下ろすと、北郭との高低差がよく分かります。

ちょうど、土塁の前に説明板もあります。
「土塁とは堀を彫った土を盛って築き上げた堤」であり、堀と土塁の築造は一体となって行われると説明されています。

上図の場合、右側の斜面を削り取り、その土を盛って土塁を築いていたようですね。

確かに、平坦な広場に見える中郭も、その外周は土塁で囲まれていますね。

中郭から北郭へ階段を下りていきましょう。

北郭

階段を下りた所から西郭方面の遊歩道。
遊歩道部分は空堀で、左右に土塁が築かれています。
カーブしていることも防御の工夫の一つでしょうか。

北郭も大きな広場ですね。
現在は公園として整備されていますが、かつては道路側に土塁が築かれていたはずです。

北郭の北側に「北郭土橋」の説明板があります。

茅ヶ崎城には3ヶ所の土橋が築かれていたようです。

「北郭土橋」の案内板の向こう側は茅ヶ崎城址公園の北端になります。
よく見ると「土橋」の標柱が建っていますね。

茅ヶ崎城址公園の外の一般道から撮った画像になりますが、石垣っぽい台形のコンクリート部分がちょうど土橋の横断面のようです。
そして、今立っているアスファルトの一般道が茅ヶ崎城の北堀(空堀)ということですね。

「北郭土橋」は北堀の一部を掘り残したもので、上幅は2.9メートル、下幅は4.5メートルということなので、当時の姿が再現されているようですね。

公園内に戻って、さらに探索すると北郭内に「井戸」の跡があります。
城にとって井戸は絶対に欠かせない重要設備です。
どれほど強固な土塁や空堀があっても、敵に囲まれて外からの補給が断たれたとき、水がなければ人間は3日ほどしか生きられません。

茅ヶ崎城址では北郭の直径約4メートル、深さ約5メートルの井戸が見つかりました。
井戸の周囲からは水を汲む簡素な施設が建設されたと推測される遺構も見つかっています。

北郭の東側に回り込むと中郭を囲む土塁もより高く見えますね。

中郭と東郭の間に空堀と思われる窪みも見られます。
草木に覆われて分かりにくいですが、奥が高くなっていますので中郭土橋に当たる部分でしょうか。

こちらも草木で分かりにくいですが東郭北部の土塁ですね。


茅ヶ崎城址公園は、住宅地の中の緑地公園としてもよく整備されており、地域住民の憩いの場となっています。
一方で築城当時の姿を良好な形で残す中世城郭の貴重な遺跡でもあります。
随所に設置された説明板は、お城や歴史に詳しくない人にも分かりやすく解説されていますので、学びながら散策できる遺跡公園です。
センター南駅

センター南駅まで戻ってきました。
中世城郭遺跡のすぐ傍に近代的な建築物があるというギャップも魅力の一つですね。

横浜市営地下鉄 センター南駅の5番出入口まで戻ってきました。
今回の散歩はここで終了ですが、最近では「御城印(ごじょういん)」(お城版の御朱印)を集めている人も多いようなので、御城印を販売している横浜市歴史博物館への道のりもご案内します。
横浜市歴史博物館(御城印)

茅ヶ崎城の御城印は「横浜市歴史博物館」のミュージアムショップで販売されています。
横浜市歴史博物館はセンター北駅が最寄りですが、「みなきたウォーク」を歩けば10分程度なので徒歩をおすすめします。

「みなきたウォーク」は「センター南駅」と「センター北駅」を一直線に結ぶ遊歩道です。

横浜市歴史博物館はセンター北駅より手前にあります。
ここを左手前方向です。

階段を下ります。

高架橋の下から博物館の看板が見えます。

横浜市歴史博物館に到着です。(開館時間:9時~17時)

最寄りはセンター北駅1番出入口(みなきたウォークの終点)になります。
今回は室町時代から戦国時代にかけて築かれた貴重な中世城郭の遺構「茅ヶ崎城址」をご紹介しました。
公園として整備されながらも、当時の姿を色濃く残す巨大な空堀や土塁は見応え満点です!
公園内の解説を見ながら一周することで、城に仕組まれた巧妙な防御構造を肌で感じることができますよ。
都会の中で戦国の息吹に触れられる歴史価値の高い史跡を散歩してみませんか。

