小田急小田原線と東急世田谷線が交差する便利で閑静な住宅街
招き猫で有名な豪徳寺周辺を散策してみましょう。

小田急 豪徳寺駅をスタートします。
もしや、この後姿は・・

やはり、招き猫でしたか。
「豪徳寺駅周辺地区街づくり協議会」が招き猫発祥の地のシンボルとして平成22年に設置したそうです。
豪徳寺 ~ 招き猫発祥の地 ~

彦根藩主・井伊家の江戸菩提寺であり、世田谷を代表する古刹。
招き猫発祥の地として有名です。
豪徳寺の伽藍

山門の扁額に書かれた「碧雲関」は「外の世界と境内を隔てるために建てられた門」を意味します。

高さ22.5メートルの三重塔
釈迦如来像、迦葉尊者像、阿難尊者像、招福猫児観音像が安置されています。

ひと際存在感のある仏殿は延宝5年(1677年)建立の歴史的建築物で、世田谷区指定有形文化財です。
現在・過去・未来の三世を意味する諸佛などが安置されています。

延宝7年(1679年)、藤原正次(釜屋六右衛門)により鋳造された世田谷区内最古の梵鐘で、こちらも世田谷区指定有形文化財です。

昭和42年(1967年)に造営された法堂には聖観世音菩薩立像、文殊菩薩坐像、普賢菩薩座像、地蔵菩薩立像が安置されています。
招き猫の由来

招福殿の入口に鎮座する招福猫児像。可愛らしいにゃ。
豪徳寺と招き猫の深い繋がりは、一匹の猫が鷹狩り帰りの殿様を寺へ招いたことでした。
ある日、この地を通りかかった鷹狩り帰りの殿様が、お寺の門前にいた猫に手招きされ、立ち寄ることに。寺で過ごしていると、突然雷が鳴り雨が降りはじめました。雷雨を避けられた上に、和尚との話も楽しめた殿様は、その幸運にいたく感動したそうです。それが彦根藩主の井伊直孝でした。豪德寺は、直孝に支援され、寛永10年(1633年)に再興しました。
豪徳寺と招き猫|大谿山 豪徳寺


豪徳寺では福を招いた猫を招福猫児と呼び、お祀りする招福殿の周りには願い事を叶えた多くの招き猫が奉納されています。
それにしても、こんなにたくさんの願い事を叶えてくれたなんて凄いパワーですね・・

仏様の周りにも招福猫児!

灯篭の中にも招福猫児!

自動販売機も招福猫児!
(販売している商品は普通の飲み物です)
彦根藩主 井伊家墓所(国指定史跡)


豪徳寺が井伊家菩提寺となる切っ掛けとなった二代藩主 井伊直孝の墓所
直孝の法号「久昌院殿豪徳天英大居士」に因み、豪徳寺と改称されました。



十三代藩主 井伊直弼は幕末期の江戸幕府にて大老職に就き、安政5年(1858年)4月に天皇の許可を待たず日米修好通商条約に調印し、幕末の混乱期に開国政策を推進しました。
また、安政の大獄を指揮し、国内の反対勢力を厳しく取り締まりました。
しかし、強硬な姿勢が多くの反感を買い、安政7年(1860年)3月に桜田門外の変で暗殺されました。
世田谷城址公園 ~ 足利一族・吉良氏の居城 ~

清和源氏・足利氏の支族である吉良氏の居城「世田谷城」
貞治5年(1366年)、吉良治家によって築城されたといわれていますが、定かではありません。
世田谷に城があったなんて意外ですね。。

公園として整備されていますが、世田谷城跡は東京都指定旧跡です。

空堀の中を歩くと両側にそびえる土塁に迫力を感じます。

一段高くそびえる郭が現在も残されています。

吉良氏は北条氏と婚姻関係を結び、その庇護下にあったが、豊臣秀吉の小田原攻めによる北条氏の没落により、世田谷城は廃城となりました。
その後しばらくして、この地は彦根藩井伊家の所領となりますが、城内にあったとされる吉良氏の小庵、弘徳院は豪徳寺の前身といわれています。
世田谷八幡宮 ~ 江戸三相撲の名所 ~

寛治5年(1091年)、後三年の役に勝利した源義家は戦地からの帰途、世田谷の里で豪雨に遭い、天候回復のために滞在することになりました。
そして義家は「こたびの戦勝は八幡大神様の御加護に依るもの」と感謝し、宇佐八幡宮の分霊をこの地に勧請しお祀りしました。
後に、世田谷城主であった吉良頼康が社殿を修築造営しました。

境内にある弁天池には色とりどりの鯉がいて和ませてくれます。

源義家が滞在中に兵士に相撲を取らせたことが由来となり、現在でも9月の秋祭りに神事として奉納相撲が行われています。
世田谷八幡神社は、渋谷氷川神社(渋谷区)、大井鹿嶋神社(品川区)と並んで奉納相撲が盛んな江戸三相撲の一社に数えられています。

力石は力試しや鍛錬のために使われた石ですが、こんなに沢山並んでいる神社は珍しいですね。

現在の本殿は昭和39年に建てられ、この中に旧本殿が納められています。
東急 宮の坂駅 ~ 江ノ電601号 車両展示 ~

世田谷八幡宮のすぐそばに東急 宮の坂駅があります。
ここになぜか江ノ電の車両が展示してありますので見学していきましょう。

この緑色はどう見ても江ノ電ですが・・

案内板によると、やはり「江ノ電601号」のようです。
大正14年に製造され、昭和44年まで現東急新玉川線と世田谷線を走っていた車両だそうです。
その後、江ノ電に譲渡されたというわけです。

レトロな雰囲気の車内を自由に見学することができます。
木製の床が時代を感じますね。

車内には懐かしい写真が展示してあります。

運転席は随分簡素ですが、使い込まれています。


こちら側が車両前方になります。
鉄道ファンには必見の車両展示ではないしょうか。
さて、豪徳寺周辺の歴史散歩はここまでです。
世田谷線沿線は見どころが多く集まるエリアですが。是非お出かけしてみてはいかがでしょうか。

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