厄除けのご利益で全国的に有名な『川崎大師』は神奈川県川崎市の中心部からやや離れた場所にありながら、初詣参拝者数が全国3位という安定した人気を誇る寺院です。
日本人なら一度は行きたい『川崎大師』とその周辺の魅力についてご紹介します。
あまり知られていない中国庭園『瀋秀園』もありますのでお見逃しなく!

朱色の柱が特徴的でご利益がありそうな京急川崎大師駅をスタートします🚶🏻➡️
京浜急行電鉄 発祥の地


京急川崎大師駅前には、関東で最初に開通した電気鉄道「大師電気鉄道」が走ったことを記念する碑があります。
大師電気鉄道が六郷橋から大師停留所間に開通したのは明治32年(1899年)のことでした。
川崎大師に参詣する人々を運ぶことを目的とした日本初の参詣鉄道であり、これをきっかけに「初詣」が庶民の定番行事として一般化したと言われています。
川崎大師
表参道

川崎大師駅を出て左手に表参道の「厄除門」が見えますので、道を迷うことはありません。
ここから約500m続く参道の起点となる門で、普段は車が行き交う車道も正月三が日は歩行者天国となり、約300万人の参拝者がこの門をくぐります。

歴史ある川崎大師の表参道は電柱が地下化されており、景観が美しく保たれています。

表参道から川崎大師の大本堂を横目に進むことになります。横から見ても立派な建物ですね。

表参道には川崎大師の名物「久寿餅」の工場兼販売店もあります。
久寿餅の始まりは、江戸時代の天保年間に遡ります。
川崎の久兵衛さんが偶然発見した発酵澱粉を使って作った餅を、川崎大師の山主に試食してもらったところ、大変美味しかったので「これは名物にすべきだ」と広めたそうです。
久兵衛の“久”と、長寿の“寿”を合わせて「久寿餅」と名付けられたそうです。

そのような言われがあって、参道には久寿餅のお店が軒を連ねています。

川崎大師の入口が近づいてきました。交差点を右に曲がると仲見世通りです。
仲見世通り

仲見世通りの入口に立つと、いよいよ川崎大師の縁起の良い雰囲気が高まります。
「仲見世通り」というと浅草寺が最も有名ですが、川崎大師や江島神社、善行寺など全国各地に存在します。
「仲見世」の語源については諸説ありますが、社寺の境内の「中(仲)」にある「店(見世)」という説や、「中(仲)」を「見せ(見世)て」売る店という説などがあります。

仲見世通りには名物の「せき止め飴」「とんとこ飴」「久寿餅」などのグルメが並び、「トントントン」という飴を切る音は川崎大師らしさを演出しています。


仲見世通りにはダルマ屋さんも多く並びます。
ダルマはインドから中国に渡って禅宗を広めた達磨大師がモデルと言われ、達磨大師は9年間も壁に向かって座禅をしたため手足が腐って手足のない丸い形になったとされています。
また、赤い色は魔除けの意味があります。
江戸時代には「起き上がり小法師」の形と合わさって、「不屈の精神」「願いを叶える力」「厄除け」の象徴という思いが込められた縁起物として飾られるようになったそうです。
大山門

川崎大師の正式名称は「金剛山 金乗院 平間寺」で、真言宗智山派の大本山です。
大山門は昭和52年(1977年)に開創850年記念事業として建立されました。

大山門に吊られている大提灯には「魚がし」と書かれています。
東京築地魚がし講から奉納されたもので、水産関係者からの厚い信仰と地域の絆が伺えます。




大山門には仏教における東西南北の守護神「四天王像」が奉安されています。
京都・東寺の四天王像(国宝)を模刻したもので、境内に悪いものが入らないように四天王たちが睨みを利かせいます。
大本堂

昭和39年5月に落慶された大本堂には御本尊「厄除弘法大師」を中心に、不動明王・愛染明王などの諸仏が奉安されています。
また、大本堂においては毎日護摩祈祷が行われ、炎の中に願いを込めて読経が響いています。
ひらまくん

川崎大師の公式キャラクター「ひらまくん」は川崎大師の寺号「平間寺」の由来にもなった人物の子供の頃の姿がモチーフになっています。
平安時代末期、無実の罪により生国である尾張を追われ諸国流浪の果てに川崎にたどり着いた平間兼乗(ひらまかねのり)は、漁師として生活しながら仏さまの教えを大切にし、特に弘法大師を心から敬い信じていました。
兼乗が42歳の厄年を迎えたころ、夢の中に高僧が現れて「昔、唐の国にいたときに自分の像を刻み、海に流した。けれど、まだ縁ある人に出会っていない。今こそ、あなたがその像を引き上げて供養すれば、災いは福に変わり、願いも叶うだろう」とお告げになりました。
夢のお告げに従って海にでた兼乗が、光り輝いている場所に網を投じて海中から引き揚げた木像こそ御本尊「厄除弘法大師尊像」だったのです。
兼乗は、海から引き上げた尊像を丁寧に清め、小さな草庵にお祀りして、朝夕欠かさず心を込めて供養を続けました。
ある日、諸国を巡っていた高野山の尊賢上人が、偶然兼乗のもとを訪れ、尊像の由来と兼乗の境遇を知って深く感動しました。
そして二人は力を合わせて、大治3年(1128年)に一つのお寺を建てました。
兼乗の姓「平間」にちなんで「平間寺(へいけんじ)」と名付け、御本尊として「厄除弘法大師」をお祀りしたのです。
しょうづかの婆さん

本来は三途の川の「奪衣婆(亡者の衣をはぎ取る役目を持つ鬼婆)」のことで、それが訛って「しょうづかの婆さん」と呼ぶようになったそうです。
昔から歯の痛みを癒したり、容貌を美しくするとされており、芸能人やモデルさんもこっそりお参りに来るという、女性に大人気の隠れパワースポットになっています。
遍路大師


遍路大師尊像は弘法大師(空海)が四国八十八ヶ所霊場を巡る「遍路」修行の姿であり、旅の安全や心の浄化を願う人々の祈りが込められています。
また、遍路大師尊像の足元には「わらじ」が置かれていますので、健康・健脚を祈念して献水することをおすすめします。

遍路大師尊像を取り囲むように新四国八十八ヶ所霊場も創設されていて、実際に川崎大師の第44世貫首・隆天大和上が四国霊場巡拝の際にいただいた「お砂」を埋めて各霊場のご本尊をお迎えしたものです。
遠くまで旅ができない方や足が不自由な方にも巡礼の心を感じてもらえる「お砂踏み霊場」は優しい祈りのかたちですね。
八角五重塔(中興塔)

普通の塔が四角や六角なのに対し、八角形が五重に重なった珍しい日本でも珍しい塔です。
昭和59年の吉例大開帳ならびに弘法大師1150年御遠忌を記念して落慶されました。
八角は最も円に近い建造物の形といわれ、「包容力」「完全性」を象徴しています。
中には釈迦如来像や弘法大師像などの仏像が祀られてます。
第五十五代横綱 北の湖敏満之像

川崎大師平間寺の檀家であった「元横綱・北の湖」は、生前、御本尊厄除弘法大師に篤い信仰を寄せられていました。
平成29年10月1日の三回忌の折に親族が奉納した銅像です。
北の湖は優勝24回、全勝優勝7回という記録を持つ大横綱で、引退後は日本相撲協会の理事長も務めました。
鐘楼堂

鐘楼堂は太平洋戦争で焼失したため、昭和23年に再建されたものですが、鐘は寛政7年(1795年)に鋳造された長い歴史を持っています。

毎年、大晦日に除夜法楽(除夜の鐘を鳴らす際に伴奏として演奏される音楽)が執り行われたのち、元日午前零時より境内に除夜の鐘が鳴り響きます。
そのほか、3月11日(東日本大震災追悼)、6月10日(時の記念日)、8月6日(広島原爆忌)、8月9日(長崎原爆忌)、8月15日(終戦記念日)といった特別な日に鐘が打たれます。
なお、6月10日(時の記念日)は671年に天智天皇が漏刻(水時計)を使って、日本で初めて時を知らせた日です。
つるの池・やすらぎ橋

「やすらぎ橋」は境内にある「つるの池」にかかる朱色の橋です。
古来から朱色は災難を除き、幸福を招くされる色とされており、災難消除・招福の願いが込められた祈りの橋です。

橋の欄干には悟りへと向かう階段(発心・修行・菩提・涅槃)を表す種字(梵字)20文字が刻まれています。

つるの池の中央には鶴をかたどった噴水があり、池には鯉も泳いでいます。池の周りには緑が広がり、写真映えもバッチリな撮影スポットです📸
降魔成道釈迦如来像

やすらぎ橋を渡ると、金色に輝く降魔成道釈迦如来像を参拝することができます。
悟りを開く直前の釈迦が悪魔の誘惑を退けて瞑想を続けた「降魔成道」と呼ばれる姿を表しています。
胎内には、インド大菩提会を通じて勧請奉迎された釈迦のご遺骨(真身仏舎利)が大切におさめられています。
日本百観音霊場 お砂踏み参拝所

川崎大師の住職が日本百観音霊場(西国三十三観音、坂東三十三観音、秩父三十四観音の各霊場)を一つひとつ巡礼され、それぞれの霊場からいただいた「お砂」を各札所のご本尊の分身としてお迎えし、大切に埋め納めました。
合わせて百ヶ寺すべての観世音菩薩像(レリーフ)もお祀りされています。



ここを一歩一歩踏みしめながらお参りすることで、遠く離れた西国や秩父の山々、坂東の古刹を心で旅することができ、ご利益が授かれるという有難い参拝所です。
薬師殿

川崎大師の伽藍の中で一際異彩を放つ存在の薬師殿はもともと自動車交通安全祈祷殿として昭和38年(1963年)に創建されましたが、平成18年(2006年)に新祈祷殿が完成したため、平成20年(2008年)から薬師殿として落慶されました。
外観はまるでインドの仏教建築のようなデザインで、異国情緒溢れる建築美が印象的です。
堂内には薬師瑠璃光如来尊像と薬師瑠璃光如来を守る十二神将が奉安されていて、健康長寿を願う祈りの場となっています。

また、御本尊薬師瑠璃光如来の分身「なで薬師」も祀られていますので、ご自身が不調を感じる部分を撫でることにより、身体健全、病気平癒が祈念できます。
山門前 住吉の久寿餅

境内での参拝を終え、仲見世通りに戻ります。
仲見世通りの中でも一際立派な店構えの山門前の「住吉」は大正六年に創業した老舗です。

和菓子の製造販売のほか、喫茶店も併設していて久寿餅や厄除まんじゅうなど、どれも美味しそうです。
毎月20日・21日はお大師様のご縁日により、久寿餅が半額になっています。

無病長寿を祈念して、名物の久寿餅をいただきました。
ムチっとした弾力が特徴的で、黒蜜ときな粉をたっぷり絡めて食べるとどこか懐かしさを感じる美味しさです。
松屋総本店の開運とんとこ飴

仲見世通りの入口にある『松屋総本店』は明治元年創業の老舗で、軒先には『家傳せき止飴』『開運とんとこ飴』『名物きなこ飴』などの名物飴がズラリと並んでいます。

お土産に「開運とんとこ飴」を購入しました。
パッケージには最高位名誉総裁賞(技術部門)受賞の文字と飴を切る職人のイラストと描かれています。
水飴を固めたやさしい甘さと柔らかさが特徴的で、お店で作ってトントコ切っているのがこれだそうです。

さて、川崎大師の近くにはもう一ヶ所見どころがあります。
仲見世通りを出たところに案内も出ていますが、川崎大師に隣接する「大師公園」にある「瀋秀園」にも寄っていきましょう。
大師公園・瀋秀園

仲見世通りの出て150メートルほど南に進むと大師公園の芝生広場があります。
かなり広くて立派な公園ですね。

芝生広場の手前にある案内図です。左奥に中国庭園「瀋秀園」が紹介されています。

大師公園の中を散策しながら進みましょう。

「瀋秀園」の入口に到着しました。
「瀋秀園」は中国の瀋陽市と川崎市の姉妹都市提携5周年を記念して昭和62年に造られた本格的な中国式自然山水庭園です。
庭園の建築には瀋陽市から寄贈された瑠璃瓦や獅子像(右側が雄獅子・左側が雌獅子)が使われ、入口に立っただけで中国を想起させてくれます。
なお、中国における獅子は神聖な霊獣として魔除け・守護のために寺院の門前に置かれることが多いそうです。

「瀋秀園」という名前には「瀋陽の美しい景色を集めた庭園」という意味が込められています。

朱塗りの柱や極彩色の天井画など、中国らしい色彩がふんだんに使われています。

中国の太湖という湖から切り出された穴の多い複雑な形の奇石は「太湖石(たいこせき)」と呼ばれ、瀋陽市から寄贈されたものです。
また、その奥に建つ「知春亭(ちしゅんてい)」という建物は、天井に「春」をテーマにした絵が描かれています。

庭園内は大きな池(秀湖)を中心に中国建築を回遊しながら四季の植物も楽しむことが出来ます。
面積は約4300平方メートルで程よい大きさです。
では、庭園内を一周してみましょう🚶➡️





夏になると蓮の花を観賞できる「藕香榭(ぐうこうしゃ)」という建物はの天井には「夏」をテーマにした絵が描かれています。

水面に映る楼閣がとても絵になりますね。


瀋秀園内で一番高い所にある「攬翠亭(らんすいてい)」という建物からは瀋秀園内を一望出来ます。

「攬翠亭(らんすいてい)」の横には滝があり、水の音と景色を一緒に楽しむことができます。


ここが川崎市であることを忘れてしまうような異国情緒あふれる景色を堪能することができます。
まるで中国を旅しているかのような写真が撮れるかもしれませんね📸
なお、庭園入口の案内によると、この瀋秀園の建設費の一部には川崎大師からの寄付金が充てられているそうです。流石ですね!
本日のご案内はここまでにして、川崎大師駅へ戻ります。


関東で最初に開通した電気鉄道に乗って帰りましょう!
厄除け川崎大師での祈りと中国庭園・瀋秀園の静寂、ふたつの風景の余韻を残しつつ、ゆる~い半日旅を楽しみました。
開運とんとこ飴を舐めながら、「明日もいい日になりますように・・」とお祈りして今回の記事はおしまいです。
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