都営地下鉄 大門駅をスタートします。
大門駅はJR浜松町駅にも隣接しています。

増上寺 大門

徳川将軍家の菩提寺「増上寺」の正門である「大門」
港区指定有形文化財です。
江戸時代までは東海道に面するこの「大門」から先が増上寺の境内でした。

大門の交差点にある鯛焼き屋さん
「天然ってどういうこと?」って思うけど、美味しいです。
腹ごしらえして、旧東海道を西へ進みましょう。
濱松町由来碑

芝エクセレントビルの1階に「濱松町由来碑」がありますが、何が書いてあるのか、ほぼ読み取れません。。
この辺りの住所は港区浜松町ですが、江戸時代の名主権兵衛の出身地が今の静岡県浜松市だったことに由来するそうです。
浜松町は増上寺の門前町として、さらに東海道の要衝として発展しました。
金杉橋

古川という渋谷川の下流に架かる「金杉橋」


橋の下は屋形船の係留所になっています。
首都高速環状線の真下ですが、江戸の風情を感じることができます。
日本橋から一里(4km)の場所であるため、一里塚があったという説もあります。
歌川広重の名所江戸百景、「金杉橋 芝浦」が描かれ場所でもあるそうです。
江戸開城会見の地碑

慶応4年(1868年)3月14日、勝海舟と西郷隆盛が会談して「江戸城無血開城」を取り決めました。
今川焼のような丸い形の石碑がお洒落ですね。

会見があったとされる田町の薩摩藩邸(蔵屋敷)跡地は、現在 田町タワーというドデカいオフィスビルが建っています。

この日は東京マラソン。多くの市民ランナーが石碑の傍を駆け抜けていきました🏃

東京マラソンの折り返し地点(JR田町駅前)
札の辻交差点

江戸時代のはじめ、ここに高札場が設けられて、布告法令などが掲示されたことから「札の辻」と呼ぶようなりました。
同様の理由で札の辻という交差点は全国各地にあるようです。

はとバスも出動して交通規制をしていました。
東京マラソンって、ほんと巨大ベントですね。
元和キリシタン遺跡

住友不動産三田ツインビルの公開空地内にある元和キリシタン遺跡
元和9年(1623年)、三代将軍 徳川家光は50名のキリシタンを処刑しました。
幕府による支配を強化するためキリスト教を弾圧し、鎖国へと向かう過程で起きた悲劇の歴史を今に伝えています。

すぐ近くに「太閤千代しだれ」という桜の木があります。
豊臣秀吉が晩年に「醍醐の花見」を催したことで知られる京都 醍醐寺のしだれ桜の子孫樹です。
何故ここに?って感じですが、桜の季節に訪れたいですね。
御田八幡神社

釜鳴神事(かまなりしんじ)という特殊神事が古来より伝わる歴史ある神社です。
創建1300年を超えているそうです。

江戸時代は東海道に面してさぞかし賑わったことでしょう。
高台にあるので、眼下に海が見えて眺望も素晴らしかったと考えられます。

割と立派な社殿があります。
高輪大木戸跡


江戸時代中期、江戸の南の入口として旧東海道の両側に石垣を築き、夜は閉めて通行止めとし、治安維持と交通規制の機能を持っていました。
JR山手線「高輪ゲートウェイ駅」の名前の由来になっています。
泉岳寺

泉岳寺参道口に建つ「四十七義士之旧跡」の石碑
かなり年季が入ってて、何書いてあるか分かりにくいけど歴史を感じます。

泉岳寺の中門です。
泉岳寺は慶長17年(1612年)に徳川家康が創建した寺院
浅野 内匠頭(たくみのかみ)と赤穂義士の墓があることで有名ですね。
高輪中学校・高等学校の生徒さんは、毎日この門を通って通学しているようです。

山門の「泉岳寺」の額は、晋唐の墨跡研究者であった大野約庵による書です。
達筆ですね~

大石内蔵助の銅像は台座が高すぎて見えづらいです・・
この銅像は連判状を手にして江戸方向をじっとにらんでいる姿であるとのことです。

赤穂義士は元禄16年(1703年)2月4日に切腹した後、直ちにこの地に埋葬されました。

「首洗い井戸」です。
義士が本懐成就後、吉良上野介の首級をこの井戸水で洗って主君の墓前に供え報告したとされる。怖!

赤穂義士記念館
討ち入り300年に当たり次の時代に引き継ぐべく、新たに建てられた義士に関する資料館。
大人500円
品川駅

1872年10月15日に開業した日本で最も古い駅の一つ。
日本初の鉄道として知られる新橋 – 横浜間の正式開業は1872年(明治5年)10月14日(一般運輸開始は翌15日から)ですが、これに先行して同年6月12日に品川 – 横浜間で仮開業しており、乗務員の訓練が行われました。
最後にマメ知識
☞ 品川駅の所在地は品川区ではなく港区です。

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