東海道五十三次の最初の宿場町である『品川宿』は、慶長6年(1601年)に港町として栄えていた品川湊の近くに設置されました。
品川宿は江戸四宿(江戸と地方を結ぶ五街道の最初の宿場町)の一つであり、江戸の出入り口として重要な役割を担いました。
品川宿は見どころが多いため、記事を2つに分けて紹介させていただきます。
今回は前編として品川駅~新馬場駅を歩きます

東京富士美術館蔵 「東京富士美術館収蔵品データベース」収録 (https://www.fujibi.or.jp/collection/artwork/04322/)

それでは、巨大ターミナル駅 品川駅をスタートしましょう!
リニア中央新幹線の始発駅になる品川駅は明治5年に開業した歴史ある駅です。
八ツ山橋 ~ ゴジラの上陸地点 ~

八ツ山橋は東海道とJR東海道線を立体交差させるために、明治5年(1872年)に架けられた橋で、現在の橋は4代目です。
JR線と京急線がひっきりなしに通ります。

撮り鉄の撮影スポット📷であるほか、映画「ゴジラ」の上陸地点としても知られています📽️

八ツ山橋は電車だけでなく飛行機も結構近くで見ることができ、まさに交通の要衝です!

大正2年に架け替えられた2代目の八ツ山橋の親柱が保存されています。


休憩所と品川宿の案内板。松の木もあって、宿場の趣を感じますね。

東海道の宿場名が彫られたオブジェも並んでいます。
品川宿入口

京急本線の踏切には「従是南 品川宿 地内」の標識。いよいよ品川宿の入口です。


道幅や景観も街道っぽくなってきました。
江戸時代の道幅は徳川家康が定めた基準があり、東海道は大海道に分類されていたため、幅は6間(約10.8m)でした。
大海道:6間(約10.8m)、小海道:3間(約5.4m)、横道・馬道:2間(約3.6m)
歩行路:1間(約1.8m)捷路・作業道:3尺(約90cm)
問答河岸跡 ~ 徳川家光と沢庵和尚の禅問答 ~

徳川家光が東海寺を訪れた際、沢庵和尚がこの辺りまで出迎えて禅問答をしたそうです。
家光が「海が近いのに何故名前が遠い海寺なのか」と質問すると、沢庵和尚が「大軍を率いても将(小)軍と言うようなものです」と答えたそうです。

説明書きはほぼ読めませんが・・
土蔵相模跡 ~ 土蔵造りの旅籠屋「相模屋」跡 ~


江戸時代、外装が土蔵造りの旅籠屋「相模屋」がありました。(通称:土蔵相模)
1860年に桜田門外の変を起こした水戸浪士たちや、1862年に英国公使館を焼き討ちした高杉晋作ら長州藩士たちの集合場所になったそうです。

現在は一階にファミマが入ったマンションになっています。

この辺りは景観に配慮して電柱が地下化されています。
「品川浦と船だまり」 ~ しながわ百景 ~

水辺には多くの釣り船や屋形船が並び、その向こうには品川駅周辺のビル群がそびえる独特の光景。
『しながわ百景』に選定されています。

大正14年9月に竣工した北品川橋より撮影しました📸
鯨塚・利田神社 ~ 実物の鯨に江戸中が大騒ぎ ~

寛政10年、品川沖に体長約16.5mの鯨が現れ捕獲されました。
大鯨は江戸中の評判となり、浜御殿(現・浜離宮恩賜庭園)まで運ばれ、11代将軍 徳川家斉が上覧するほどの騒ぎとなったそうです。

その後、鯨の骨は利田神社の境内に埋められました。

隣接する公園には鯨のオブジェがあります。
品海公園 ~ 宿場の風情を感じる公園 ~

小さな公園ですが、街道松があって宿場の風情を感じます。

この花壇にはかつて海岸線の土留めに積まれた石垣が利用されています。
海が近い宿場は波浪対策が大変だったんでしょうね・・

石碑には「日本橋より二里」とありますので約8kmですね。
聖蹟公園(品川宿本陣跡)

いよいよ本陣です。入口には土山宿から贈られた街道松が植えられています。

江戸時代、参勤交代の諸大名や公家・門跡など要人の宿泊・休憩所として大いに賑わいました。

明治元年に明治天皇行幸の際の宿舎となったことに因み、聖蹟公園と命名されました。

当時の様子が再現されています。

本日のゴール「京急 新馬場駅」です。お疲れさまでした!
後編の新馬場駅~大森海岸駅は別記事にまとめていますので、是非そちらもご覧ください。


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