江戸時代に整備された五街道の一つ「東海道」には歴史の痕跡を今に伝える名所旧跡が数多く残されています。
今回ご紹介する八丁畷から京急鶴見までのルートにも「一里塚」の跡や由緒ある寺社などが点在しています。
旧東海道の歴史スポットを巡りながらのんびり歩いてみませんか。

今回の散歩のスタートは京急八丁畷駅です。
JRの場合は、南武線の八丁畷駅もあります。
<八丁畷の由来>
江戸時代、東海道川崎宿の京都側の出入り口(京口土居)から西へ八丁(約870メートル)にわたり、畷(田畑の中のあぜ道)がまっすぐ伸びていたことから「八丁畷」と呼ばれるようになりました。
※1丁=約109メートル

無縁塚 ~ 身寄りのない人々の霊を弔う供養塔 ~

八丁畷駅の西側にひっそりと佇む供養塔は「無縁塚」と呼ばれています。
江戸時代の記録によると、川崎宿は地震や大火・洪水・飢饉・疫病などの災害に度々襲われ、多くの人々が命を落としています。
亡くなった身元不明の人々は川崎宿のはずれに埋葬されたと考えられます。
この付近では道路工事などで江戸時代ごろの特徴を備えた人骨が度々掘り出されたため、地元住民と川崎市によって昭和9年に供養塔が建てられたのです。
旧東海道の街並み

八丁畷の駅からしばらく西へ進むと「東海道」らしい案内板が出ています。

川崎宿の中心部から随分離れていますが、こんなタペストリーを吊るしているお店もあります。

700メートル先に「市場一里塚」があります。旧東海道を歩く人にとってはありがたい案内板ですね。
「市場」は横浜市鶴見区市場という今も残る地名で、横浜市に編入される前は市場村でした。
「一里塚」は街道の道しるべとして一里(約4km)ごとに設けられた塚(小さな盛土)のことです。
市場の夫婦橋

市場上町の交差点です。
電柱には「市場一里塚まで600m」と並んで「夫婦橋」の標識があります。
この交差点を渡ると横浜市(鶴見区市場)に入ります。
かつて「八丁畷」と呼ばれた道はここまでとなります。

交差点の角にある「林青果店」の脇に説明板がありますので見てみましょう。


かつて、ここには2本の用水路があり、大小2つの石橋(夫婦橋)が架かっていました。
江戸時代の旅人が汗とほこりを洗うのに絶好の場所になっていたようです。
橋のたもとには名物「米まんじゅう」を売る茶屋も描かれていますね。

交差点を渡ると歩道が狭くなって、少し歩きにくくなります。
本来の街道の道幅に近づいたとも言えますね。
夫婦橋が「八丁畷」の終点でしたが、まだまだ真っ直ぐな道が続きます。
横浜熊野神社 ~ 創建1200年の古社 ~

横浜熊野神社は今から約1200年前の弘仁年間に創建された歴史ある神社です。
紀州熊野の別当であった尊慶上人が、和歌山の熊野本宮大社の御分霊をこの地に勧請(神様を分けて祀ること)したのが始まりとされています。

また、徳川家康が江戸入国の折に立ち寄り、天下泰平・国家安穏・武運長久を祈願したと伝えられる由緒ある神社です。
(寄り道)箱根駅伝 鶴見中継所
旧東海道から少し外れますが、横浜熊野神社から近い場所に箱根駅伝の鶴見中継所がありますので、駅伝に興味がある方は寄ってみてください。

旧東海道や京急本線と平行に走る国道15号線(第一京浜)が箱根駅伝のコースです。
例年、1月3日の午後12時10分頃に先頭チームの9区から10区(アンカー)へのたすきリレーが行われます。(ちょうど歩道橋の真下が中継点です)
たすきを受けた10区のランナーは、僅か1時間5分程度で東海道の起点・日本橋を通過します。

往路の歩道脇に建つ銅像「明日へ走る」は横浜市出身の彫刻家・堀内治雄の作品です。
例年、1月2日の午前9時頃に第1区から第2区へのたすきリレーが行われます。
第2区は「花の2区」とも呼ばれ、各校のエースが登場します。
まさに、全国の “長距離ランナーの聖地” となっています。
市場一里塚

旧東海道に戻り、しばらく歩くと市場橋バス停の手前に「市場一里塚」があります。

一里塚とは里程の目標と人馬の休憩の目安として、日本橋から一里(約4km)毎に街道の両側に設けられた塚です。
この「市場一里塚」は日本橋から五里目(約20km)の塚に当たります。
明治時代の道路整備などで多くの一里塚が消失する中、片側の塚が現存しており、貴重な文化財として江戸時代の記憶を今に伝えています。
「市場」という地名は、古くからこの地で開かれていた「市(いち)」に由来します。
鶴見川の河口近くでもあることから、水運と陸路の交差点として古くから栄えました。
また、東海道の川崎宿と神奈川宿の間にあり、江戸時代には「間の宿(あいのしゅく)」として旅人や商人で賑わったそうです。
光明山 金剛寺 ~ 平安時代創建の古刹 ~

鶴見川の手前に光明山 金剛寺というお寺があります。
創建年代は明らかではありませんが、平安時代の嵯峨天皇(809~823年)の代に草創されたと伝わる古刹であり、熊野神社の別当寺(神社を管理する寺)としての役割を担っていました。
創建時は現在地から少し離れた場所にありましたが、江戸時代に旧東海道の整備が進む中で街道沿いの現在地に移転したと伝えられています。

金剛寺は古くから「東海三十三ヶ所観音霊場(第九番)」「東国八十八ヶ所霊場(第十番)」「玉川八十八ヶ所霊場(第十一番)」の札所となっていました。
旧東海道を歩く旅人や、江戸近郊の霊場巡り(お遍路)をする人々にとって、街道沿いにある金剛寺は立ち寄りやすい祈りの場であり、多くの参拝者で賑わったと考えられます。

歴史と風格を感じる本堂があり、境内はとてもきれいに清掃されています。

境内には六地蔵菩薩像も安置されています。
六地蔵菩薩とは、地蔵菩薩が六つの姿に分かれて、六道(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上)すべての世界を救済する存在として信仰されている仏様です。
次の目的地は旧東海道の南側になりますので、金剛寺の前の横断歩道を渡っておきましょう。
鶴見川橋(旧・鶴見橋) ~ 東海道とほぼ同じ歴史をもつ橋 ~

金剛寺を出るとすぐに鶴見川に架かる鶴見川橋が見えます。
すごく立派なアーチ橋ですが、橋の長さは120m程度です。

鶴見川橋のたもとには小さな公園があり、旧鶴見橋界隈の風情や歴史に関する説明板があります。
椅子もありますので、小休憩にも最適です。

鶴見川には江戸時代から橋が掛けられていました。
徳川家康が東海道を整備した慶長6年(1601年)頃に、最初の橋が架けられたと言われています。
当時の名称は鶴見川橋ではなく「鶴見橋」でした。

日本橋から出発して最初に渡る大きな橋として「五十三次名所図会」や「江戸名所図会」に描かれ、ここからの眺めは海原や富士山が望める風光明媚な場所でした。
また、界隈は街道沿いは茶屋が軒を連ね、鶴見名物「よねまんじゅう」が売られていました。
鶴見橋関門旧跡

鶴見川橋を渡ると旧東海道の南側に鶴見橋関門旧跡の石碑が建っています。
江戸時代末期、この地には不審な浪士や旅人を取り締まるために設けられた「検問所」がありました。
1859年(安政6年)に横浜が開港されると、周辺で攘夷思想を持つ武士らによる外国人殺傷事件が相次いで発生したため、幕府は横浜へ向かう主要ルートの監視を強化する必要に迫られ、1860年(万延元年)に鶴見橋のたもとに関門を設置したのです。
しかし、1862年(文久2年)8月に発生した生麦事件をきっかけに警備体制をさらに強化することになり、川崎宿から保土ヶ谷宿の間に合計20ヶ所の番所が整備され、鶴見橋関門は5番目の番所と位置付けられました。

その後、1867年(慶応3年)には警備体制の合理化に伴い鶴見橋関門は番所としての役割を終え、明治に入り世情が安定すると、1871年(明治4年)には明治政府によって全国の関門が廃止されました。
寺尾稲荷道の道標


鯉ヶ渕公園という公園の前に建つ趣ある石碑は「寺尾稲荷道の道標」です。
古くから “馬術上達や馬上安全の神様”として崇められた「寺尾稲荷(現在の馬場稲荷神社)」へ向かう寺尾稲荷道との分岐点に建っています。
なお、この道標はレプリカであり、本物は鶴見神社の境内に移設されています。

また、公園の隣にある鶴見図書館の前には「東海道分間延絵図」を用いた旧東海道の説明板があります。
鶴見や生麦は川崎宿と神奈川宿の間の「間の宿」として賑わいました。
信楽茶屋跡

『信楽茶屋』は東海道の立場(宿場と宿場の間にある「間の村」で、人や馬が休憩したところ)として栄えた鶴見村の中で最も繁盛した茶店であったと伝えられています。
ちょうど鶴見神社(当時は杉山大明神)の参道正面という絶好の立地にあり、多くの参拝者や旅人が立ち寄ったそうです。

明治時代になり鉄道が開通すると街道を歩く旅人は激減し、信楽茶屋は「そば屋」へと業態を変えて昭和初期まで営業を続けていましたが、第二次世界大戦の戦火によって建物は焼失してしまいました。
現在、その場所には「ラーメンショップQ」というラーメン屋が営業しています。

享保年間(1716~1736年)に創業したとされる『信楽茶屋』は「江戸名所図会」にも挿絵付きで紹介されており、旅人だけでなく馬を引く人足や駕籠かきたちでも賑わう村一番の繁盛店でした。
また、「梅干し」と「梅漬けの生姜」が看板メニューだったとされています。
※江戸名所図会では「鶴見村」を誤って「生麦村」と記しています。
鶴見神社(旧:杉山大明神)

信楽茶屋の向かい側から鶴見神社の参道が始まります。
江戸時代、鶴見神社の参道周辺は街道を旅する人々にとって欠かせない休息地となっており、茶屋や土産物屋が軒を連ねていました。
また、鶴見神社の門前で売られていた鶴見名物「よねまんじゅう」は旅人に大人気であったそうです。

鶴見神社の創建は推古天皇の時代(約1400年前)と伝えられ、横浜で最古の歴史をもちます。
かつては「杉山大明神」と呼ばれていましたが、大正9年に現在の「鶴見神社」へ改称されました。

JR東海道線の開通に伴い、境内地の半分ほどが線路として接収されましたが、江戸時代以前はもっと広大な敷地の境内が街道沿いに広がっていました。


現在も境内の奥には、江戸時代に流行した富士信仰に基づく「富士塚(鶴見富士)」が残されています。

また、先ほど見た「寺尾稲荷道道標」の本物も保存されているなど、旧東海道との関わりがとても深い神社です。
京急鶴見駅前

京急鶴見駅前の交差点に到着しました。
旧東海道はここで駅ビルで分断された形になります。

旧東海道は餃子の王将がある駅ビルまで横断歩道を渡り、駅ビルの東側の商店街へと続きます。

ちなみに、鶴見周辺の茶屋で販売されていた鶴見名物「よねまんじゅう」は、「御菓子司 清月」という老舗の和菓子屋さんで販売されています。
「よねまんじゅう」は明治の鉄道開通とともに一度は姿を消してしまいましたが、この清月さんが昭和57年に復活させたそうです。

「よねまんじゅう」は6個入り540円から販売されています。
時を超えて復活した東海道の人気和菓子は、「かながわの名産100選」にも選ばれています。
口の中で溶けるようななめらかさが特徴。とても美味しいので旧東海道の街歩きのお土産にお勧めです。
※日曜・祝日は定休日です。

旧東海道は京急鶴見駅東口がある鶴見銀座商店街(ベルロードつるみ)へと続きますが、本日はここまでです。
かつて旅人たちが足を休め、賑わいを見せた旧東海道の茶屋街・鶴見。
現代の鶴見の街角には、今もその足跡が静かに息づいています。
鶴見から新子安までの紹介記事もありますので是非あわせてご覧ください!


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