【止め天神・六郷橋・田中本陣】旧東海道『川崎宿』六郷土手駅~京急川崎駅を歴史散歩

江戸時代に整備された五街道の一つ『東海道五十三次』の2番目の宿場『川崎宿』
東海道ができた慶長6年(1601年)、品川宿と神奈川宿はありましたが川崎宿はありませんでした。
品川・神奈川両宿の距離が長すぎたため、旅人や交通の負担を軽減するために元和9年(1623年)に中間に位置する川崎宿が追加されました。
そんな川崎宿の名所旧跡を探しながら歴史散歩してみましょう。

歌川広重 東海道五十三次
川崎 六郷渡舟
歌川広重《東海道五拾三次之内 川崎 六郷渡舟》
東京富士美術館蔵 「東京富士美術館収蔵品データベース」収録 (https://www.fujibi.or.jp/collection/artwork/04323/)
六郷土手駅

京急 六郷土手駅を降りてスタートします。
ここは東京都大田区の西端になります。

多摩川と京急電車

駅の西側は多摩川の土手になります。
広大な土手を活用して野球やゴルフなどの練習に励む人や散歩やサイクリングを楽しむ人で賑わっています。

北野天神(止め天神)

北野天神(止め天神)

学問の神様「菅原道真」を御祭神とする神社です。

北野天神(止め天神)

8代将軍徳川吉宗が乗った馬が突然暴れだしたところ、北野天神のご加護により落馬を止めたことから「止め天神」と呼ばれるようになったそうです。

北野天神(止め天神)
北野天神(止め天神)

「決して落ちませんように」と祈願する受験生も多いようです。

旧六郷橋の橋門と親柱

旧六郷橋の橋門と親柱

大正14年に開通した旧六郷橋の橋門と親柱が保存されている宮本台緑地

宮本台緑地

1600年、徳川家康によって橋が架けられましたが、洪水の度に修復や架け直しが繰り返されました。
公園内にある案内板には、渡し船の時代や木造橋の時代、タイドアーチ式鉄橋の時代を経て現在に至る苦難の歴史が紹介されています。

六郷橋を渡る

六郷橋
六郷橋

東京都大田区東六郷と神奈川県川崎市川崎区を結ぶ国道15号の橋で全長は443.7mです。
広大な土手を眼下に眺めながら開放的な空間を歩くのは爽快な気分です。

六郷橋

ここから先は神奈川県です。

六郷橋

渡り切ったところに渡し船のモニュメントがあります。

明治天皇 六郷渡御碑

明治天皇 六郷渡御碑

多摩川の下流は六郷川と呼ばれ、1600年に徳川家康が架けた六郷大橋も1688年の大洪水で流され、明治に入るまで船渡しとなりました。

明治天皇 六郷渡御碑

明治天皇の東京行幸の際も23隻の船の上に板を敷いて渡ったそうです。

旧東海道

国道15号の高架をくぐって旧東海道を進みます。

万年屋跡地 ~ ハリスも泊まった旅籠 ~

万年屋跡地

2百年間続いた渡し船の時代に旅籠街が発展。
その中でも奈良茶飯(小豆や粟、栗などをお茶の煎じ汁で炊き込んだご飯)が有名だったという「万年屋」の跡地です。
今はマンションになっていますが、案内板が設置されています。

河崎万年屋(江戸名所図会より)
河崎万年屋(江戸名所図会より)
松濤軒斎藤長秋 著 ほか『江戸名所図会 7巻』[5],須原屋茂兵衛[ほか],天保5-7 [1834-1836].
国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2563384

十返舎一九の滑稽本「東海道中膝栗毛」に、弥次さん喜多さんが万年屋において名物の奈良茶飯を食べた話が書かれたことから人気に火が付いたそうです。
また、幕末にはアメリカ総領事ハリスも宿泊したことでも知られます。

川崎宿の街並みや道標

川崎宿
旧東海道石碑
川崎宿

川崎宿には「旧東海道」をアピールする道標や案内などが至るところにあるので趣があります。

川崎稲荷社

川崎稲荷社

旧東海道から少し脇道を入ったところにひっそりと佇む小さな神社です。

川崎稲荷社

8代将軍 徳川吉宗が紀州から江戸城入りの際、ここで休息したと伝えられています。

田中本陣跡

川崎宿 田中本陣

川崎宿に3つあったと言われる本陣の中で最も古くあった「田中本陣」の跡地です。
本陣とは宿場の中で最も格式が高い宿泊施設で、主に大名や公家、幕府の要人が利用しました。

東照(とうてる)本店

東照本店

大正2年創業の老舗和菓子店
江戸時代には助郷会所(近在農村より徴用された人馬が集められた場所)の跡地でもあります。

奈良茶飯

東海道中膝栗毛でも紹介された東海道名物「奈良茶飯」を現代風に仕立てた「奈良茶飯風おこわ」を食べることができます。

菓寮東照
菓寮東照の公式サイトです。川崎市・川崎駅付近の和菓子、奈良茶飯なら菓寮東照。
川崎宿
東海道川崎宿交差点

きっと、ここが川崎宿の中心部だったのでしょうね。

東海道かわさき宿交流館

東海道かわさき宿交流館
東海道かわさき宿交流館

川崎宿の歴史や文化を学べる資料館です。

東海道かわさき宿交流館
川崎宿の解説
東海道かわさき宿交流館
挟み箱(武家が公用で外出する際、供の者にかつがせる物品箱)
東海道かわさき宿交流館
東海道川崎宿模型

川崎宿の貴重な資料や模型などが展示され、当時の様子がよくわかります。
しかも、無料で見学できます。

東海道かわさき宿交流館

宋三寺 ~ 宿内一の古刹 ~

宋三寺
川崎宿

鎌倉時代初期の創建と伝わる曹洞宗の寺院「宋三寺」

宋三寺
川崎宿

境内には川崎宿で働いた遊女の供養塔があります。

古賀稔彦の墓
宋三寺

バルセロナオリンピック 金メダリストの柔道家 古賀稔彦のお墓があります。
現役時代は豪快な一本背負い投げを得意技としていたことから平成の三四郎の異名をとりました。

中の本陣跡・問屋場跡

川崎宿中の本陣跡
中の本陣跡
川崎宿中の本陣跡
中の本陣跡

佐藤本陣・田中本陣の間にあった惣兵衛本陣は通称「中の本陣」があったそうです。
現在は川崎歴史ガイドが設置されています。

川崎宿問屋場跡
川崎宿問屋場跡
問屋場跡

中の本陣跡の向かい側には「問屋場(といやば)」がありました。
問屋場とは人馬の継立業務(幕府役人や大名らの荷物を次の宿場まで運ぶ)や飛脚業務(幕府公用の書状などを次の宿場まで運ぶ)などの業務を監督する重要な施設です。
約30人の問屋役人が昼夜交代で勤務していたそうです。
現在はセブンイレブンになっています。

川崎宿 東海道五十三次

ちなみに、問屋場跡より少し手前に戻ったところにある自動販売機は、役者見立東海道五十三次(三代目歌川豊国:画)のデザインなのでご紹介まで。。

旧六郷橋親柱 ~ 稲毛公園 ~

旧東海道から300mほど離れた稲毛公園には、大正14年(1925年)に架けられた「旧六郷橋」の川崎市側の親柱が保存されています。
宮本台緑地にあった東京側の親柱と対を成すものです。

昭和59年(1984年)に現在の橋に架け替えられるまでの約60年間、国道15号のランドマークとして東京ー川崎間の移動を見守りました。
江戸時代から何度も流された六郷橋ですが、この大正14年に架けられた六郷橋は初めて流されずに役目を全うし、川崎の発展を支えました。

稲毛神社 ~ 川崎宿の総鎮守 ~

東海道川崎宿の総鎮守として人々の崇敬を集めた神社で、明治維新までは「山王社」と呼ばれ、現在でも「山王さん」の通称が使われています。

社伝によれば、東国に争乱の絶えなかった頃、武神・武甕槌神たけみかつちのかみをまつり、天皇軍の戦勝を祈る社として建てられたと伝えられています。

創建年代は不明ですが、御神木の大銀杏が樹齢一千年と推定されることから、川崎一の古社であるとされています。

境内には正岡子規の直筆の句碑が建てられています。
正岡子規は明治27年と33年に川崎を訪れ、多くの句を詠んでいます。
この句碑は正岡子規没後100年に際して、川崎を詠んだ子規の句から選び、川崎の文化碑として後世に伝えるために建てられたものです。

また、佐藤惣之助「祭の日」詩碑も建てられています。
佐藤惣之助は旧川崎宿の本陣佐藤家に生まれ育った詩人で、惣之助が幼少期に経験した鎮守の祭りの美しい思い出を詠んだものです。

京急川崎駅

京急川崎駅

稲毛神社での参拝を終え、賑やかな京急川崎駅に到着しました。
六郷土手駅とは比較にならない賑やかさです。
東海道川崎宿はまだ中心部を過ぎた辺りですが、続きは別の記事に纏めていますので、是非そちらもご覧ください。

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