旧東海道(日本橋~新橋)を歩く!

江戸時代、徳川幕府が全国支配のために五街道(東海道・中山道・日光街道・奥州街道・甲州街道)を整備しました。
その中でも最も早く完成した東海道を歩いて歴史や文化に触れていきましょう。

日本橋

東海道五十三次之内 日本橋 朝之景
歌川広重《東海道五拾三次之内 日本橋 朝之景》東京富士美術館蔵
「東京富士美術館収蔵品データベース」収録 (https://www.fujibi.or.jp/collection/artwork/01172/)

日本橋の魅力

日本橋 親柱

日本橋は慶長8年(1603年)に初めて架けられ、翌年には江戸幕府により五街道の起点として定められました。
親柱の「日本橋」や「にほんばし」の文字は15代将軍 徳川慶喜が書いたものだそうです。
なかなか達筆ですね。

東京 日本橋

現在の日本橋は1911年に架け替えられたもので、ルネサンス様式の石造り2連アーチ橋となっており国の重要文化財となっています。
上空を通る首都高速道路が邪魔ですが、威厳と造形美を感じますね。

日本橋 麒麟像

橋の中央部分には照明灯があり、2体の麒麟像が置かれています。
麒麟は中国神話に現れる伝説上の動物で、泰平の世に現れると言われています。

元標の広場

日本橋 日本道路元標
元標の広場

日本橋の北西詰にある『元標の広場』には日本国道路元標の複製が展示されています。
(実物は橋のセンターライン上にあるため見ることができません)

東京市道路元標
元標の広場

レトロなデザインの黒色の照明灯は「東京市道路元標」で、国の重要文化財に指定されています。
1928年から市電の架線をかけ渡すための支柱の役割も兼ねて日本橋の中央に設置されていましたが、1972年の道路改修をもって役割を終え「元標の広場」に移設されました。
その跡に設置されたのが「日本国道路元標」です。

日本国道路元標 説明

日本国道路元標の説明書きによると、「日本国道路元標」の文字は内閣総理大臣佐藤栄作氏の揮毫であるそうです。昔に人は皆達筆ですね。

里程標
日本橋
元標の広場

里程標が設置されています。
1里は約4kmですが、この里程標は明治になってから設置されたものなので粁(km)で表記されています。

乙姫の広場

日本橋魚河岸跡
日本橋魚市場発祥の地碑

『元標の広場』から道路を挟んだ向かい側の『乙姫の広場』には「日本橋魚河岸跡」があります。
日本橋から江戸橋にかけての日本橋川沿いには、幕府や江戸市中で消費される鮮魚や塩干魚を荷揚げする魚河岸があり、大変な賑わいをみせていました。
この魚河岸は関東大震災後に築地へ移り、東京都中央卸売市場へと発展しました。
「海の魚がことごとく日本橋に集まった」という意味を込めて、龍宮城の住人である乙姫をイメージした像が記念碑の隣に設置されています。

滝の広場

日本橋船着場

日本橋の東側を渡るとの日本橋船着場が見えます。
現在の日本橋(20代目)が架橋百周年を迎えた2011年、橋のたもとに完成しました。
船着場の両端にある杭には日本橋が木橋だったころの擬宝珠(ぎぼし)を再現されています。
ここから様々な船のツアーで水上散歩も楽しそうですね。

双十郎河岸
滝の広場
日本橋

この広場は『滝の広場』と呼ばれています。確かに人工の滝がありますね。
クルーズ船の受付と「双十郎河岸」の石碑があるだけの静かなエリアです。

「双十郎河岸」とは架橋100周年のセレモニーで西の坂田藤十郎と東の市川團十郎が船乗り込んだことを記念して命名されました。

花の広場

日本橋 花の広場
本橋由来記の碑

『滝の広場』から横断歩道を渡って西側の『花の広場』には、日本橋観光案内所や日本橋由来記の碑があります。
日本橋由来記の碑は江戸時代の高札場をイメージしたデザインになっており、江戸時代には実際ここに高札場がありました。

京橋

ヤン・ヨーステン記念碑

東京駅 八重洲
ヤン・ヨーステン記念碑

東京駅八重洲通りには教科書にも載るオランダの航海士「ヤン・ヨーステン」の記念碑があります。

ヤン・ヨーステン記念碑
八重洲

ヤン・ヨーステンはイングランド人のウイリアム・アダムス(三浦按針)らとともにオランダ船リーフデ号に乗り込み、慶長5年(1600年)に大分の豊後に漂着しました。
その後、徳川家康の信任を得て旗本となり、外交や貿易について進言する役目に就きました。
ヤン・ヨーステンの屋敷は江戸城内濠沿いにあり、彼の日本名「耶 揚子(や ようす)」が八重洲という地名の由来になりました。
※八重洲の地下街にはヤン・ヨーステンの記念像もあります。

歌川広重 住居跡

歌川広重住居跡
歌川広重住居跡

浮世絵師として名高い「歌川広重」が嘉永2年(1849年)から死去までのおよそ10年間を過ごした住居跡です。
歴史の授業でも習う「東海道五十三次」が特に有名ですが、晩年に描いた「名所江戸百景」はこの地での代表作です。
住居は二階建ての独立家屋であったそうです。

歌川広重 死絵
出典:ColBase (https://colbase.nich.go.jp)

明治屋 京橋ビル

明治屋の外観

明治屋京橋ビル(株式会社明治屋の本社兼店舗)です。
昭和8年(1933年)竣工の歴史的建造物で、東京都中央区の指定有形文化財となっています。
東京大空襲や環境の変化を乗り越え、竣工当時のルネサンス様式の外観が保たれています。

江戸歌舞伎発祥の地碑

京橋の手前にある「京橋大根河岸おもてなしの庭」に江戸歌舞伎発祥の地碑が建っています。
寛永元年(1624年)、猿若勘三郎(初代 中村勘三郎)がこの地で猿若座(後の中村座)を創設しました。

京橋の親柱

京橋の親柱
明治8年当時のもの

京橋は東海道の起点である日本橋から京都へ上る際に最初に渡る橋でした。
昭和になって川は埋め立てられましたが、橋の遺構として親柱が残されています。
(明治8年当時のもの)

京橋の親柱
大正11年当時のもの

こちらは大正11年当時のものです。
上部に照明設備も備えてモダンなデザインに進化していますね。

銀座

銀座発祥の地碑

銀座発祥の地碑

慶長17年(1612年)、銀貨幣鋳造の銀座役所が現在の銀座二丁目あたりに設置されました。
当時の町名は新両替町でしたが、通称として銀座町と呼ばれていました。
そして、明治2年になって正式に町名が「銀座」となりました。

銀座通り

デパートや高級ブランドショップなどが建ち並ぶ銀座通りは、土・日・祝日の日中に歩行者天国になります。
実施時間は時期により異なります。(詳細は銀座公式ウェブサイトにて)
TBSの人気番組「サンデーモーニング」の"風を読む”のコーナーで、いつもインタビューしているのは何故か銀座通りばかりですね。

銀座通りの光景
日本の道100選の表示

銀座通りは日本の道100選にも選ばれています。
明治近代化のシンボルとして発展してきました。

真珠王記念碑

真珠王記念碑
ミキモトの創業者である御木本幸吉の功績を称えた石碑

ミキモトの創業者である御木本幸吉の功績を称えた石碑がミキモト銀座4丁目本店の入口前にひっそりと建っています。
御木本幸吉は明治26年(1893年)に世界で初めて真珠の養殖を成功させた偉人です。

SEIKO HOUSE GINZA

銀座のランドマーク「SEIKO HOUSE GINZA」

銀座4丁目交差点にある銀座のランドマーク「SEIKO HOUSE GINZA」
レトロで重厚感のある建物と時計塔が特徴的です。
2軒隣の山野楽器銀座本店は公示地価(商業地)が日本一高い場所として有名です。

新橋

新橋親柱

新橋親柱

かつて銀座と新橋の間を流れていた汐留川に架けれらていた橋の親柱が残されています。
現存する新橋親柱は大正14年(1925年)に架橋された橋の一部で、「新橋」の地名の由来を今に伝える遺構です。

銀座柳の碑

銀座の柳歌碑

昭和7年(1932年)に発売されてヒットした『銀座の柳』の歌碑です。
明治時代には銀座通りの街路樹がほとんど柳だったことから、「銀座と言えば柳」なのだそうです。

新橋SL広場

新橋SL広場

JR新橋駅、街頭インタビューでおなじみのSL広場に到着です。
日本初の鉄道が「新橋~横浜」に開業したことを祈念してSLが置いてあるのですが、そのことについては別記事にて詳しく紹介したいと思います。

新橋駅

本日はここまでです。お疲れさまでした!

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