【日本橋・兜町・茅場町】歴史観光スポットを巡る散歩コース

"近代日本経済の父” と呼ばれる実業家 渋沢栄一が拠点とし、金融とビジネスの街に発展した日本橋・兜町・茅場町を歴史散歩♪
そこには多くの「発祥の地」が点在する穴場観光スポットでした!

本日は日本橋駅からスタートします。日本橋駅の改札は洒落てますね。

D2出入口を目指します。
駅構内には木造だった時代の日本橋に設置されていた擬宝珠ぎぼしのオブジェがあります。
擬宝珠は格式の高さを示すものです。

日本橋駅D2出入口を出ました。東京駅方面には近代的なオフィスビルが立ち並びます。

郵便発祥の地 ~ 日本橋郵便局 ~

明治4年3月1日、日本の新式郵便制度が発足したときに郵便事業を統括した駅逓司えきていし(現在の郵政省)と東京郵便役所が置かれた「郵便発祥の地」
現在は日本橋郵便局になっています。

通用口付近には、近代郵便制度の創設者の一人であり「日本近代郵便の父」とも呼ばれる 前島密まえじま ひそかの胸像と記念碑が建っています。

前島密は明治時代初期にそれまでの飛脚制度に代わる郵便制度の基礎を築き、切手や郵便局の仕組みを取り入れることで、日本全国で手紙を送れる便利な制度を作り上げました。
「郵便」「葉書」「切手」という言葉は前島密が作り出したものです。
また、前島密は現在でも1円切手の肖像となっています。

なお、一万円札の肖像である渋沢栄一も明治新政府で設置された「改正掛」という政策立案チームのリーダーとして郵便制度の確立に携わっています。

海運橋親柱 ~ 金融の中心地を支えた石橋の跡 ~

海運橋親柱(西詰)

かつて、物流の中心が海運だった時代、楓川が日本橋川に合流する入口に海運橋と呼ばれる橋が掛けられていました。
海運橋は長さ約15m、幅約11mのアーチ型の石橋で、当時としてはかなり立派な橋だったようです。

海運橋親柱(西詰)と海運橋跡

文明開化期の海運橋周辺は、東京の金融の中心として繁栄し、橋詰にあった擬洋風建築の第一国立銀行とともに東京の名所となりました。

海運橋親柱(東詰)

海運橋は関東大震災で破損し、昭和2年に鉄橋に架け替えられました。
その際、二基の親柱が記念として残されました。
楓川も埋め立てられた現在においても当時を偲ぶ遺構として中央区民文化財に登録されています。

銀行発祥の地 ~ みずほ銀行 兜町支店 ~

銀行発祥の地
みずほ銀行 兜町支店

明治6年6月11日、日本で最初の銀行である「第一国立銀行」(現みずほ銀行)が開業しました。
記念すべきこの地は現在「みずほ銀行 兜町支店」となっています。
だから、みずほ銀行の銀行コードは「0001」なんですね。

銀行発祥の地
みずほ銀行 兜町支店

"近代日本経済の父”「渋沢栄一」は第一国立銀行の初代頭取です。
また、兜町ビルの所有者「清和綜合建物株式会社」の源流のひとつである「有終會」は、渋沢栄一が初代会長となって設立した第一国立銀行関連の任意団体でした。
新札発行記念の「渋沢栄一特設サイト」がビル壁面でアピールされています。

銀行発祥の地
兜町歴史地図

兜町歴史地図には渋沢栄一ゆかりの地(銀行発祥の地、証券取引発祥の地、旧渋沢栄一邸、郵便発祥の地)が紹介されています。

銀行発祥の地

「渋沢栄一と建物の歴史」の展示パネルの前では、足を止めて見学している人が絶えません。

銀行発祥の地碑

昭和38年6月に建立された「銀行発祥の地」碑です。
ちょっと分かりにくいですが、初代の第一国立銀行の外観が描かれています。
一見、お城のようにも見える和洋折衷の建物は擬洋風建築の最高峰と言われ、当時の東京の名所でした。

フィリップ証券ビル
フィリップ証券ビル(昭和10年竣工)

銀行発祥の地から東京証券取引所へ向かう途中、周辺の兜町界隈には証券会社の重厚感ある歴史的建造物が並びます。

山二証券ビル
山二証券ビル(昭和11年竣工)

兜神社 ~ 日本証券界の守り神 ~

兜神社境内

東京証券取引所の北、日証館の隣にある「兜神社」は、明治11年(1878年)に東京株式取引所(現東京証券取引所)の設立に伴い、当取引所が兜神社の氏子総代となり、以来証券界からの信仰を集めるようになりました。

兜神社

御祭神は商業の守護神 倉稲魂命(うかのみたまのみこと=御稲荷さんの別名)です。
小さな神社ですが、商業に携わる人や投資家の人など、熱心な参拝者が多い神社です。

兜神社
兜岩

境内には「兜町」という地名の由来になった「兜岩」と呼ばれる巨岩があります。

「兜岩」の由来には諸説あります。
 1.940年、藤原秀郷が平将門を討った後、将門の兜を当地に埋めて供養した。
 2.1051年、前九年の役に出征する源義家が、この岩に兜を掛けて戦勝祈願した。
 3.1087年、後三年の役で凱旋帰還する源義家が戦勝記念として当地に兜を埋め納めた。

どの説も裏付けとなるものは何も残っていませんが、想像するだけで楽しいですね。

兜神社

「兜」の神紋が何だか可愛らしいですね。

渋沢栄一邸宅跡地 ~ 日証館 ~

日本橋公証役場(日証館)の外観

東京証券取引所の北側、日本橋川沿いに建つ趣のある建物は日証館と呼ばれるオフィスビルです。

渋沢栄一邸宅跡地
日本橋兜町1丁目

明治21年(1888年)、この地には渋沢栄一の邸宅が建てられました
邸宅は日本銀行本店や東京駅舎の設計で有名な辰野金吾の設計によるものだったそうで、明治34年(1901年)に渋沢栄一が飛鳥山に移り住んだ後は渋沢事務所として使用されていました。

大正12年(1923年)9月1日の関東大震災発生時、渋沢栄一は渋沢事務所の書斎で打ち合わせをしており、激しい揺れに見舞われ建物が崩れる中を無事避難したそうです。
しかし、地震後の火災で兜町一帯は火に包まれ、渋沢事務所は全焼してしまいました。

日証館の入口

その後、昭和3年(1928年)に東京株式取引所(現東京証券取引所)により、現在の日証館が建設されました。

日証館の外観

日商館は、建築家 横河民輔が設立した横河工務所の代表的な建築作品です。
基壇の大きな石貼りや、入口と最上階のアーチ窓が並ぶ重厚な意匠が、証券会社が立ち並んでいた日本橋兜町の歴史的景観を今に伝える建物であるとして「東京都選定歴史的建造物」に選ばれています。

旧渋沢栄一邸と日証館に関する展示

日証館のエントランスホール(平日のみ開放)には、明治の名建築「旧渋沢栄一邸」と昭和の名建築「日証館」の歴史に関する展示もあります。

鎧(よろい)の渡し跡 ~ 源義家の伝説が残る名所 ~

鎧の渡し跡

鎧の渡し跡とは、日本橋川に通されていた小網町と茅場町との間の船渡しの跡です。
東京証券取引所の目の前にあります。

鎧橋
日本橋川
日本橋川
鎧橋

かつて源義家が奥州平定の途中、ここで暴風雨に遭い、船が沈みかけたため、鎧を投げ捨てて龍神に祈りを奉げたところ、無事に渡ることができたという伝説が残されています。

江戸名所図会
鎧の渡し

この渡しは、明治5年(1872年)に鎧橋が架けれられたことによりなくなりましたが、江戸時代の風景は『江戸名所図会』にも描かれています。

証券取引発祥の地 ~ 東京証券取引所 ~

東京証券取引所

経済のニュースで度々登場する日本最大の証券取引所です。
東京証券取引所の前身「東京株式取引所」は、日本初の公的な証券取引機関として明治11年(1878年)に渋沢栄一らによって創設されました。

東京証券取引所

建物は1984竣工で意外に新しいのですが、重厚感があって風格を感じます。
館内も無料で見学することができます。(土・日・祝祭日・年末年始を除く)

渋沢栄一ゆかりの赤石 ~ 日本経済の繁栄を祈念した縁起石 ~

兜町交差点
KABUTO ONE

令和3年(2021年)、"日本のウォール街 ” 兜町の新たなランドマークとして「KABUTO ONE」が開業しました。

KABUTO ONE
渋沢栄一像
渋沢栄一ゆかりの赤石

「KABUTO ONE」のエントランスには、渋沢栄一ゆかりの赤石が展示してあります。

本赤石は「佐渡赤石」とも呼ばれる縁起石です。
明治21年(1888年)に渋沢栄一が兜町に邸宅を建てた際に、日本経済の繁栄を祈念して本赤石が設置されました。
その後、渋沢栄一は邸宅を移した際に本赤石も移設するなど、本赤石を生涯大切にしていました。
投資家の方はこの赤石を拝んでおくと御利益があるかもしれませんね。

KABUTO ONE
渋沢栄一等身大オブジェがベンチに座っている

また、同エントランスのベンチには渋沢栄一等身大オブジェが座っています。
思わず一緒に撮りたくなるフォトスポットですね。

日本橋日枝神社 ~ 上向きの狛犬で運気上昇! ~

日本橋日枝神社の参道

天正18年(1590年)、徳川家康の江戸入府に伴い創建された日枝神社(千代田区永田町)の境外摂社。
茅場町のオフィスビル群の合間に参道があり、平日はビジネスマンのオアシスになっていると考えられます。

日本橋日枝神社の狛犬
日本橋日枝神社の狛犬

関東大震災の復興と運気上昇を願い、昭和9年に奉献された上向きの狛犬
天を仰ぐ狛犬は珍しく、運気上昇を願って撫でさせていただきました。
狛犬のデザインは江戸三大名工と謳われた酒井八右衛門によるものです。

日本橋日枝神社の社殿

社殿は大正12年の関東大震災後、昭和3年に造営され、境内末社(北野神社・稲荷神社・浅間神社)が合祀されました。

日本橋日枝神社
かぶ守

参拝後には、株価上昇を祈念した「かぶ守」の授与もいかがでしょうか。

其角(きかく)居住跡 ~ 「蕉門十哲」の筆頭 ~

茅場町
其角住居跡

日本橋茅場町一丁目6番街区の角地に、其角住居跡の石碑が建っています。

宝井其角(『國文学名家肖像集』)
宝井其角(『國文学名家肖像集』)
出典:Wikipedia

其角(きかく)こと宝井其角は、江戸時代の俳人で、松尾芭蕉の門下生でした。
その実力は「蕉門十哲」の筆頭に数えられるほどで、俳諧の世界で重要な役割を果たしました。

其角住居跡
茅場町

かつて其角が居を定めたことを記念して昭和45年(1970)11月に石碑が建てられ、「其角住居跡」という文字は旧日本勧業銀行の頭取(横田 郁)の揮毫によるものです。

茅場町
其角住居跡

この地は歴史的価値を有する遺跡として東京都指定旧跡に位置づけられています。

電燈供給発祥の地 ~ 日本初の発電所跡地 ~

明治20年11月21日、東京電燈会社(現東京電力)が日本初の発電所を建設しました。
茅場町に発電所があったとは驚きですね。
初めて電気を利用した灯りを見た人は、電気がある未来をどこまで想像できたでしょうか。

電燈供給発祥の地碑

明治20年(西暦1887年)11月21日 東京電燈会社が この地にわが国初の発電所を建設し、同月29日から付近の日本郵船会社、今村銀行、東京郵便局などのお客様に電燈の供給を開始いたしました。
これが、わが国における配電線による最初の電燈供給でありまして、その発電設備は直立汽缶と、30馬力の横置汽機を据付け、25キロワットエジソン式直流発電機1台を運転したもので、配電方式は電圧210ボルト直流三線式でありました。

たまたま、記念碑付近にあった電動小型モビリティのシェアリングサービス。
都会ならではのサービスですが、電気は私たちの生活をどこまで便利にするのでしょうか。

茅場町駅

茅場町
東京メトロ茅場町駅

茅場町交差点にある東京メトロ茅場町駅に着きました。

花王本社

茅場町交差点の角に建つ近代的なオフィスビルには「花王」が本社を構えています。
花王株式会社は明治20年(1887年)に創業した日本を代表する日用品メーカーです。
社名の由来は、顔も洗える高品質の国産石鹸誕生への想いを込め、当時、化粧石鹸が「カオ(顔)洗い」と呼ばれていたことから「カオ(顔)石鹸」と名付け、「花王」という文字をあてたことがだそうです。

澁澤シティプレイス茅場町

ちなみに、「澁澤シティプレイス」は‟日本資本主義の父” 渋沢栄一が創業した澁澤倉庫が保有・運営しているビルであるという点も金融・ビジネス街を象徴していますね。

東京メトロ 日本橋駅から茅場町駅まで歩きました。
1区間ですが、歴史的な見どころが沢山あって魅力的な街です。
是非、街歩きに出かけましょう!

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