日本の玄関口『東京駅』は見どころ満載の観光地です。
多くの日本人と外国人が行き交う東京駅を探検してみましょう。

外観と歴史

東京駅といえば、まずはこの外観。辰野金吾らが設計した赤レンガ造りの丸の内駅舎は国の重要文化財に指定されています。
ちなみに、辰野金吾は「日本近代建築の父」と呼ばれた建築家で、東京駅のほかに日本銀行本店や大阪市中央公会堂などの設計者です。

東京駅が開業したのは意外と遅く、大正3年(1914年)です。
日本で初めて新橋~横浜間に鉄道が開業した明治5年(1872年)の42年後のことでした。
既に東京のターミナルとして開業していた新橋駅と上野駅とを結ぶ高架鉄道を建設し、その両駅に代わる中央停車場を置くことで各方面ごとに敷設された鉄道を結びつけて交通ネットワークを形成する狙いがありました。

今や東京駅は東京ドーム3.9個分の広さとホーム数28本を誇る巨大ターミナル駅に成長。
それとともに、丸の内・大手町・八重洲・日本橋といった周辺地区は日本最大のビジネス街に発展しました。

丸の内中央口の隣にある皇室専用口には「東京駅」の石碑を囲むように御車寄せがあります。

東京駅ならでは威厳を感じる施設ですね。
この出入口から真っすぐ皇居へ伸びる道は「行幸通り」と呼ばれています。
井上勝の像

丸の内駅前広場の北側には明治期の鉄道専門官僚で「鉄道の父」と呼ばれた井上勝の銅像があります。
日本初の鉄道路線「新橋~横浜」間をはじめ、創世期の主要路線の敷設を主導した人物です。
また、この像は「東洋のロダン」と呼ばれた日本を代表する彫刻家 朝倉文夫の作品です。
丸の内駅舎のドーム


丸の内駅舎 南北のドーム屋根は東京駅の見どころの一つです。
思わず見上げてしまう8角形の天井は様々な装飾が施され、まるでヨーロッパにいるかのようです。
原首相遭難現場


丸の内南口の券売機の横には、原敬首相の暗殺現場があります。
官位や爵位をもたない平民であったことから「平民宰相」と呼ばれ、教科書にも登場する偉人です。
また、原敬首相が組織した内閣は「日本初の本格的な政党内閣」として知られます。
よく見ると案内表示の前の床に印があります。(画像では半分切れていますが・・)
駅舎ポスト


東京駅限定! 駅舎ドームのモニュメントが乗った郵便ポストです。
浜口首相遭難現場



昭和5年11月14日、第27代内閣総理大臣 浜口雄幸が特急「つばめ」に乗車するためホームを歩いていたところを狙撃されました。
その現場の直下に印◆が残されています。
新幹線建設記念碑


東京駅18番・19番ホームの先端にある新幹線建設記念碑には、第4代国鉄総裁として新幹線の建設に尽力した十河信二(そごうしんじ)のレリーフが埋め込まれています。
新幹線は日本の誇り! 建設に携わって頂いた方々に感謝ですね。

ホームの下にはこんなプレートもあります。
「この鉄道は日本国民の叡智と努力によって完成された」
昭和の時代に、たった5年半で作ったというのも驚きです。
0キロポスト


新幹線をはじめ、東海道線・中央線・東北線などの起点はすべて東京駅なので、その位置を示すゼロキロポストを見つけてみるのも楽しいですね。
八重洲地下街
ヤン・ヨーステン記念像 ~八重洲の地名の由来となったオランダ人~

オランダの航海士「ヤン・ヨーステン」は、慶長5年(1600年)にオランダ船リーフデ号で豊後に漂着しました。
その後、徳川家康に信任されて旗本となり、外交や貿易について進言する役目につきました。
ヤン・ヨーステンの屋敷は現在の日比谷あたりに与えられ、八代洲河岸と呼ばれていましたが、「八代洲」はのちに「八重洲」と書かれ、明治5年に町名となりました。

八重洲地下街の飲食店街では、ヤン・ヨーステンをキャラクター化して販売促進策が展開されていました。
江戸・東京・八重洲ヒストリーコーナー



八重洲地下街には江戸・東京の歴史に関する展示コーナーもあって勉強になります。
夜の八重洲口



最後に夜の八重洲口です。
丸の内口とは違ったシックな雰囲気が楽しめます。

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