横浜の定番観光地として知られる山下公園で潮風を感じながら、名所・旧跡スポットを巡ります。
雰囲気だけでも十分楽しめるエリアですが、歴史的背景も少しだけ予習しておくともっと楽しく歩けます🚶🏻➡️
さあ、出かけましょう!

まずは、みなとみらい線・日本大通り駅からスタートします。
駅名は日本初の西洋式街路である「日本大通り」にちなんで名付けられました。
神奈川県庁の最寄駅なので「県庁前」となるのが普通ですが、「県庁・大さん橋」が副名称になるという観光地ならではの贅沢なネーミングです。


日本大通り駅はJR関内駅と並ぶ横浜スタジアムの最寄駅であり、横浜DeNAベイスターズの装飾が特徴的です。
電話交換 創始之地

山下公園に近い4番出口です。
ホテルと飲食店が入るビルの1階部分になりますが、ここに「電話交換創始之地」のレリーフが設置されています。

かつて、この地には横浜電話交換局がありました。
グラハム・ベルによって電話が発明されてから14年後の明治23年(1890年)、我が国電話事業に関する最初の法令「電話交換規則」が公布され、同年12月16日から東京と横浜で交換業務が開始された歴史スポットなのです。
当時の電話加入者は東京で155人、横浜で42人。
料金は月額40円(現在の価値で約15万円!)と非常に高価で、電話は一部の特権階級のものでした。

業務開始時に配置された電話交換手は、東京に11人、横浜に4人だけでしたが、電話が普及するに連れて増員されていきました。
今は絶滅した職業ですが、当時は花形の職業だったことでしょう。
近代のパン発祥の地

同じ駅ビルの歩道脇に「近代パン発祥の地」の石碑が建っています。
欧米諸国との貿易が始まると、幕府はこの地区に外国人の日用商品街「お貸し長屋」を建てました。
その一角で内海兵吉がフランス人にパンの製法を習ってパン屋を始め、焼き饅頭のようなパンを焼き始めたことが日本におけるパン文化の始まりとされています。
その後、イギリス人クラークが「ヨコハマベーカリー」を開業。
そこで修行した内木彦太郎が明治21年に横浜・元町にて『横浜ベーカリー宇千喜商店』を開業したことが、横浜の老舗パン屋である「ウチキパン」の始まりです。
イギリス流の山型食パン「イングランド」は今でも同社の主力商品として販売されています。
開港広場公園

近代パン発祥の地のすぐそばに「開港広場公園」があります。

この公園には「日米和親条約締結の地」碑がある歴史的な公園で、隣接する「横浜開港資料館」では横浜開港の歴史に関する貴重な史料が分かりやすく展示されています。
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山下公園

山下公園に到着です。北側出入口から入りましょう🚶🏻➡️

山下公園は大正12年(1923年)に発生した関東大震災のがれきの捨て場を埋め立てて、昭和3年(1930年)3月に開園しました。
華やかな公園の下にがれきが埋まっているなんて・・。震災の悲しい歴史を乗り越えて、素晴らしい公園にしてくれた先人たちに感謝です。
インド水塔

北側入口を入るといきなり現れるイスラム風の建物は「インド水塔」です。

「インド水塔」は、関東大震災の際に横浜市がインド商人をはじめとする外国商人の救済措置を積極的に講じた返礼として、昭和14年にインド商組合から寄贈された水飲み場の遺構です。
横浜市認定歴史的建造物に認定されており、異国情緒あるシルエットで人気のフォトスポットになっています📸✨
「赤い靴はいてた女の子」像


日本人なら一度は聞いたことがある動揺『赤い靴』は、横浜港を舞台に作られ、大正10年(1929年)に発表されました。
昭和54年(1979年)に山下公園に建立され、横浜港の象徴として多くの人に親しまれています。
この歌のモデルとなったのは、岩崎きみという実在の少女です。(諸説あり)
きみちゃんは明治35年(1902年)に静岡県で生まれました。母親のかよは生活の困窮から北海道へ渡り、開拓生活の厳しさから、3歳だったきみちゃんをアメリカ人宣教師ヒュエット夫妻の養女に出しました。
ヒュエット夫妻がアメリカに帰国する際、きみちゃんは結核を患っており、長旅に耐えられないため東京の孤児院に預けられ、その後、9歳で亡くなりました。
母親のかよは娘がアメリカで幸せに暮らしていると信じたまま、その死を知ることはありませんでした。
遠くを見つめる眼差しや背後に広がる海は、「行けなかった旅」や「叶わなかった未来」を静かに語っているようです。
「西洋理髪発祥之地」碑

開港によって生活様式の西洋化が進む中、明治2年(1869年)、横浜に日本初の西洋理髪店が開業しました。
「ちょんまげ」から「ザンギリ頭」への転換は近代化・西洋化を積極的に受け入れる姿勢の象徴とされ、“ ザンギリ頭をたたいてみれば、文明開化の音がする ” というキャッチフレーズが日本人の間に広まりました。
「かもめの水兵さん」歌碑

昭和12年(1937年)に発表されて大ヒットとなった童謡『かもめの水兵さん』は、横浜港が舞台となっています。
昭和8年(1933年)の秋、作詞家・武内俊子がハワイへ旅立つ叔父を横浜港で見送ったとき、桟橋一帯にたくさんの「白いかもめ」が飛びまわり、それが夕陽に映えてとても美しい光景だったことから生まれた曲です。
昭和54年(1979年)、横浜開港120周年を記念して、横浜港発祥の童謡である『かもめの水兵さん』の歌碑が建てられました。
「水の守護神」像

昭和32年(1957年)、横浜市はアメリカ・サンディエゴ市と姉妹都市提携を結びました。
その記念として、昭和35年(1960年)にサンディエゴ市からこの像が贈られ、横浜からは茶室が贈られて文化の橋が海を越えて架けられたのです。
像は山下公園の噴水の中央に立ち、水を抱く女性の姿が印象的です。
その姿は「水の恵み」や「命の源」を象徴しており、訪れる人々に癒しと安らぎを与えてくれています。
ちなみに、サンディエゴ市はカリフォルニア州にある港町で、観光と産業のバランスが良く、多文化共生の都市で、横浜市との共通点が多い街です。
ホテルニューグランド本館

山下公園に面した道路沿いに建つ「ホテルニューグランド本館」は、建築家・渡辺仁の設計で昭和2年(1927年)に開業しました。
今も開業当時と変わらぬ佇まいで、クラシックホテルの代表例として横浜市認定歴史的建造物となっています。

また、日本の近代観光産業の発展や国際都市・横浜の迎賓館としての役割を果たしてきた歴史が評価され、平成19年(2007年)には経済産業省による近代化産業遺産にも認定されています。
過去には「マッカーサー元帥」や「チャーリー・チャップリン」、「ベーブ・ルース」をはじめ、多くの著名人が宿泊し、実際にマッカーサー元帥が滞在した「マッカーサーズスイート」と呼ばれる部屋も用意されています。
日本郵船 氷川丸

昭和5年(1930年)に建造された氷川丸は、横浜とシアトルを結ぶ太平洋航路の貨客船として活躍しました。
船が海外へ渡る唯一の交通手段だった頃、氷川丸には多くの著名人が乗船しました。
昭和7年(1932)、日本を観光で訪れていたイギリスの映画俳優 チャーリー・チャップリンは、横浜から氷川丸に乗船して帰国の途に就きました。
また、昭和12年(1937年)には、天皇の名代として英国王ジョージ6世の戴冠式に出席した秩父宮雍仁親王、勢津子妃が帰国の際、カナダのビクトリア港から横浜まで氷川丸に乗船しました。
さらに、昭和13年(1938年)には、柔道の創始者・嘉納治五郎がカイロで開かれたIOC総会に出席し、柔道普及活動を行っての帰路、バンクーバーから氷川丸に乗船しました。

氷川丸は戦前戦後を通して248回太平洋を横断し、昭和36年(1961年)5月から山下公園に係留され、現在は博物館船として一般公開されています。(入館料:大人300円)
戦前の日本で建造され現存する唯一の貨客船であり、戦前の日本における造船技術や大型客船の船内意匠を示す貴重な遺構として歴史的価値が高いことから、国の重要文化財に指定されています。
未来のバラ園

山下公園の中央部には「未来のバラ園」と呼ばれるバラ園があります。
バラの最盛期は5月~6月ですが、10月頃に二番花が咲くことが多いようです。
バラの種類は約160種、株数は約1900株あるそうです。

訪問日は11月下旬で花数も少なくなっていましたが、重要文化財・氷川丸を背景とした趣のある写真を撮影することができます。
おまつり広場

バラ園の南東側に広がる「おまつり広場」は、海に向かって大きく開けた空間で、様々なお祭りやイベントが開かれます。
イベントが無い日は憩いの場としてレジャーシートを広げてのんびりできます。

背後には高さ106メートルの「横浜マリンタワー」がそびえ立ち、横浜らしさが感じられますね。
世界の広場


山下公園の南東端は小高い丘のようになっており、石のステージ・水の階段を上ると「世界の広場」という半円形の場所があります。
世界の広場からみなとみらい方面の眺望は抜群なので、多くの人がここで足を止めて写真を撮っています📸✨
1988年の横浜博覧会に合わせて整備されたこの広場は、アジア・ヨーロッパ・アフリカ・北アメリカ・南アメリカ・オセアニアの六大陸をイメージした道が放射状に広がるデザインが特徴です。

「山下公園」と「横浜人形の家」を結ぶS字型の歩道橋「ポーリン橋」を渡ります。
ちょうどイチョウ並木が黄金色に染まって見頃を迎えていました。

「ポーリン橋」の名前は、昭和2年(1927年)にアメリカから平和と友好の象徴として贈られた約12,000体の「青い目の人形」のひとつ、「ポーリンちゃん」に由来しています。

「横浜人形の家」は世界100以上の国と地域から集められた約1万点以上の人形が展示されていてる人形博物館です。
横浜マリンタワー

横浜開港100周年の記念事業として、昭和36年(1961年)に竣工した横浜のシンボルです。
高さ106メートルの灯台をイメージしたデザインで、開業時は実際に灯台としての機能を持っており、世界一高い灯台としてギネスブックにも登録されていましたが、平成20年(2008年)の改修工事で灯台としての機能は廃止されました。

2022年のリニューアルで低層部の壁面が緑化されました。
29階・30階の展望フロアは360度の大パノラマから見える横浜港の眺望は絶景です!






怖! 😨

横浜マリンタワーは地域活性化支援センターが主催する「恋人の聖地プロジェクト」により『恋人の聖地』に選定されています。
日中の景色だけでなく夜景や館内の雰囲気も素晴らしく、プロポーズやデートに相応しいロマンティックな観光スポットとして定評があります。
ヘボン博士邸跡

最後に、横浜マリンタワーの近くにある「ヘボン博士邸跡」をご紹介します。

ヘボン博士は横浜開港とともに来日した宣教師の一人で、日本初の和英辞典の編纂・聖書の翻訳・医術の普及など、幕末明治初期の日本文化の開拓に力を尽くしました。

現在も使われる「ヘボン式ローマ字」の創始者としても有名です。
来日当初はアメリカ人宣教師の宿舎であった神奈川区の成仏寺に住んでいましたが、文久2年(1862年)に横浜居留地39番であった当地に転居し邸宅を構えました。
ヘボン博士の日本における偉大な功績を後世に伝えるため、昭和24年(1949年)に記念碑が建てられました。

今回は潮風に包まれながら山下公園周辺を散策しました。
横浜の歴史と風景を楽しんでいただければ幸いです。
横浜港周辺は国内屈指の観光地です。
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