京急 新馬場駅をスタートします。

品川宿交流館 本宿お休み処

1階は無料休憩所と駄菓子屋になっています。
品川宿を訪れた方だけでなく、地域にお住いの方々の憩いの場的な施設です。


2階は品川宿の歴史や文化を紹介する展示室になっています。
荏原神社

和銅2年(709年)創建の歴史ある神社。
南側を流れる目黒川には朱塗りの鎮守橋が架けられて趣があります。

東京七福神の中の一社として恵比須様も祀られています。

目黒川の北側にあるので住所は北品川ですが、かつて目黒川は蛇行して荏原神社の北側を流れていたことから、南品川の鎮守とされていたそうです。
品川橋

旧東海道と目黒川が交差する場所で、ここより先は南品川宿になります。

北品川宿と南品川宿の境を流れる目黒川に架けられたことから、江戸時代には「境橋」とも言われていたそうです。

現在の品川橋は小さな公園のようになっていて休憩ができます。
脇本陣跡


品川橋を渡ったところにある城南信用金庫の建物は趣のあるデザインになっています。
ここはかつて脇本陣があった場所です。

その向かいには「南品川櫻河岸 まちなか観光案内所」があります。
昭和4年頃に交番として開設された建物を改修したそうです。
街道松の広場

浜松宿より贈られた見事な黒松が植えられています。

地域をあげて旧東海道周辺のまちづくりが推進されています。
問屋場・貫目改所跡地

江戸時代、人馬の継ぎ立て業務等を行う問屋場と、そこで扱う荷物の重量検査を行う貫目改所があったそうです。

現在、跡地は「製菓実験社」という出版社が建っています。

道中、こんなトイレもありました。風情ありますね。
品川区立城南小学校

ものすごく景観に配慮した校舎が印象的な小学校。開校は明治7年です!

「城南校」の額は、江戸無血開城の立役者として知られる山岡鉄舟が書いたものの複製で、原物は校舎内に展示してあるそうです。
天妙国寺


天正18年(1590年)に徳川家康が江戸に入る際の宿所となったほか、三代家光が44回も訪れたという徳川家ゆかりの寺院です。

かつて存在した五重塔の礎石が残されています。

さあ、どんどん歩きましょう。
江戸幕府御用宿「釜屋」跡

慶応3年(1867年)に新選組副長の土方歳三らが休息した記録が残っており、その翌年には鳥羽伏見の戦いに敗れて江戸に戻った新選組の品川屯所になっていたそうです。

現在はマンションになっていて、保土ヶ谷宿から贈られた街道松が植えられています。
品川寺(ほんせんじ)

大同年間(806~810年)に開創された品川で最も古いお寺です。

入口付近には「江戸六地蔵」の第一番あたる地蔵菩薩坐像があり、街道を行き交う人々を見守っています

1300年の歴史を感じる山門の姿ですね。

国指定重要美術品の「大梵鐘」は、しながわ百景にも選ばれています。

東海道を更に西へ。龍馬ゆかりの地を目指します!
鮫洲八幡神社

運転免許試験場がある街として知られる鮫洲にある鮫洲八幡神社

江戸時代は御林町と呼ばれる漁師町で、江戸城に鮮魚を納める「御菜肴八ヶ浦」のひとつとして発展したそうです。

そのため、境内には漁業関係者が寄進した灯篭や狛犬があります。
浜川砲台跡

幕末、外国船の来航に備えて土佐藩の下屋敷があった立会川河口左岸に砲台が設置されました。

当時配備された8門の大砲のうち、6貫目ホーイッスル砲が復元されています!

ここは浜川台公園という静かな公園です。

この辺りは「しながわ花街道」と呼ばれ、勝島運河の周囲約2kmの遊歩道が整備されています。

釣り船や屋形船など、船だまりの光景も風情があります。
立会川の坂本龍馬像

品川区立北浜川児童遊園に建つ坂本龍馬のブロンズ像。
ペリー艦隊来航の折、浜川砲台の警備にあたっていた二十歳頃の龍馬像です。

龍馬はここで黒船を目の当たりにし、日本の近代化の必要性を悟ったと考えられます。
浜川橋(涙橋)

立会川に架かる浜川橋は別名「涙橋」と呼ばれます。

この先の鈴ヶ森刑場で処刑される罪人を親族らが密かに見送りに来て、涙を流しながら別れたことから「涙橋」と呼ばれるようになったそうです。
鈴ヶ森刑場遺跡

慶安4年(1651年)に開設された江戸の処刑場

処刑に使用された磔台や火炙台が残されています。

当時、江戸に入る浪人たちに警告を与える意味で、東海道沿いに設置されたと考えられています。

この先の京急大森海岸駅が最寄り駅です。
旧東海道は見どころが多すぎますね。お疲れ様でした。

にほんブログ村