“ 都会のオアシス ” という言葉がこれほど似合う場所も珍しいでしょう。明治36年の開園以来、日本初の西洋式公園として東京の近代化を見守り続けてきた日比谷公園。重厚な石垣に残る江戸城の記憶から、明治の面影を残すレストラン、そして近代化産業遺産に認定された公会堂まで。今回はビジネス街の喧騒を離れ、120年以上の時を遡る深掘り歴史散歩へとご案内します。

東京メトロ日比谷駅A10番出口をスタートします🚶🏻➡️

日比谷公園にはいくつかの門がありますが、有楽門はJR有楽町駅に最も近い門です。

日比谷公園は、明治36年(1903年)に開園した日本初の近代的洋風公園です。その歴史的価値が認められ、公園全体が東京都指定名勝に指定されています。
日比谷見附跡と心字池

有楽門を入ってすぐの場所にある巨大な石垣は「日比谷見附跡」です。「見附」とは江戸城の警備のために置かれた検問所のことで、ここにあった日比谷門の石垣は寛永5年(1628年)に伊達政宗によって築かれました。

公園整備の中で門は撤去されましたが、石垣の大部分と堀を再利用した「心字池」が当時の面影を今に伝えています。心字池とは、全体を上から見ると「心」の字をくずした形をした池のことで、禅宗の影響を受けた鎌倉・室町時代の庭に見られる日本庭園の伝統的な手法の一つです。

石垣の上にはベンチもあり、心字池を含む庭園を上から眺めることができます。
伊達政宗終焉の地

江戸城の「日比谷門」の石垣を築いた伊達政宗ですが、実はその最期の地も、ここ日比谷に深く関わっています。政宗が没したのは寛文元年(1636年)、現在の日比谷公園内にかつて存在した「伊達家上屋敷」でした。当時70歳だった政宗は、参勤交代で江戸に到着した直後に体調を崩します。病床にあった彼を、将軍・徳川家光が見舞いに訪れたというエピソードは、政宗が幕府からいかに特別視されていたかを物語っています。

日比谷門の石垣を築いた彼が、自ら築いた門のすぐそばにある屋敷で生涯を閉じたという歴史の繋がりが興味深いですね。
旧日比谷公園事務所(東京都指定有形文化財)

旧日比谷公園事務所は、明治43年(1910年)に竣工した歴史的建造物です。
東京市の技師・福田重義の設計により、「ドイツ・バンガロー風」と呼ばれる建築様式を取り入れて造れらました。明治期に建てられた近代洋風建築がほぼ当時の姿のまま残されているのは非常に珍しく、東京都の有形文化財に指定されています。


昭和51年からは公園資料館としても使われ、激動の時代をくぐり抜けてきた、レトロで温かみのある洋館の佇まいは必見です。
現在は「フェリーチェガーデン日比谷」という結婚式場・イベント会場として活用されていますが、結婚式等が入っていない日はカフェとして営業しているようです。(カフェ営業日はInstagramで確認できます)
第一花壇

「第一花壇」は、1903年の開園当初から日比谷公園の顔として親しまれてきた、日本初の本格的な近代洋風庭園です。左右対称の幾何学的なデザインが美しく、周囲より一段低い「沈床園(サンクンガーデン)」という西洋の庭園形式が採用されています。

江戸の遺構である心字池の和風な趣とは対照的で、当時の人々が憧れた「ハイカラ」な西洋文化を象徴する空間です。

「花壇」といいつつ芝生が広いのは、日本に初めて『広場』という概念を持ち込もうとした、当時の設計者たちの意図があるそうです。そのため、都会の一等地にあっても圧倒的な開放感に浸ることができます。

ここで、日比谷公園の歴史についておさらいしておきましょう。
日比谷公園がある場所は、幕末までは大名屋敷が立ち並び、明治初期には陸軍練兵場(訓練場)となっていました。その後、明治政府は司法省や裁判所などを集めた官庁街を作る計画を策定しましたが、かつて日比谷入江という海だったため地盤が緩く、大きくて重い建物を建てるには不向きでした。
そこで、浮上したのが「公園案」でした。都市の防火地帯としての役割も期待され、近代化を目指す政府が海外に誇れる「洋風公園」を作ることになったのです。
しかし、当時の日本には「洋風公園」を設計できる専門家がほとんどおらず、「和風すぎる」か「西洋の真似事」でデザインが迷走しました。そこで、ドイツ留学から帰国した本田静六に白羽の矢が立ちました。

本田静六は「公園の父」と称される林学博士です。日比谷公園や明治神宮の森を設計し、日本の近代公園の礎を築きました。日比谷公園では、地盤の悪さを克服する和洋折衷の独創的な設計を実現。質素倹約と投資で巨万の富を築いた「億万長者」としての顔も持ち、その独自の人生哲学は今なお多くのビジネスマンに影響を与えている人物です。


第一花壇が100年以上経った今も開園当時の姿を留めているのは、本多静六による設計思想が極めて論理的で、かつ「完成」されていたからだと言えるでしょう。
三笠山

日比谷公園内にある「三笠山」は標高数メートルの小さな人工の山です。
公園造成時に「心字池」などを掘った残土を積み上げて作られました。当時は全体が3つの笠を伏せた形に似ていたので「三笠山」と名付けられました。その後、テニスコートの造成など周辺整備に伴い、山の形は変わりましたが、名前は「三笠山」のまま残りました。

三笠山の麓にある鋳鉄製の「水飲み」は、明治36年の開園当初から設置されている、東京でも最古級の水飲み台です。当時はまだ水道が珍しく、公園で自由に水を飲めることは画期的でした。
また、馬も水が飲めるような形になっており、陸上交通の重要な部分を牛馬が担っていた当時がしのばれます。

三笠山は標高10メートルにも満たないので、階段を使って容易に登頂できます。
かつては周囲に遮るものがなく、東京湾や富士山まで見渡せたという都内屈指の絶景スポットだったそうです。「池を掘った土で山を作る」という、本多静六らしい合理的で立体的な工夫が感じられますね。

三笠山の山頂を少し下ったところに設置されている鐘は、アメリカのフィラデルフィアにある独立宣言時に鳴らされたことで知られる有名な「自由の鐘(リバティ・ベル)」のレプリカです。

昭和27年(1952年)、第二次世界大戦後の連合国軍による占領が解かれ、日本が主権を回復した(サンフランシスコ平和条約の発効)を記念して、アメリカの有力者や団体から寄贈されました。
三笠山の緑に包まれたこの鐘は、戦後の日本が再び一歩を踏み出した時、アメリカから贈られた平和のメッセージなのです。
日比谷松本楼

日比谷松本楼は、明治36年の日比谷公園開園と同時に創業した老舗レストランです。「森の中のレストラン」として親しまれ、新緑や紅葉に囲まれた落ち着いた佇まいが特徴です。

その歴史は波乱に満ちており、夏目漱石や高村光太郎などの文豪、中国革命の父・孫文らにも愛されましたが、関東大震災と昭和46年の過激派による放火で2度も焼失しました。しかし、全国からの支援により見事に復興。その感謝の心から始まった、毎年9月25日の「10円カレーチャリティ」は秋の風物詩として非常に有名です。

1階にはテラス席もあり、公園散歩の定番ランチスポットと人気のレストランです。
首かけイチョウ

日比谷松本楼のすぐ隣に立つ、推定樹齢400年を超える大イチョウは「首かけイチョウ」と呼ばれています。
明治32年頃、道路拡張のために伐採されそうになった際、公園の設計者である本多静六が「自分の首をかけても移植させる」と強く主張して守り抜いたことから、この名がつきました。
当時、これほどの大木を移植するのは不可能と言われていましたが、本多博士の執念により見事に成功しました。困難を乗り越える不屈の精神を象徴するような日比谷公園が誇る名木です。
雲形池

日比谷公園の北西に位置する「雲形池(くもがたいけ)」は、開園当時の面影を今に伝える、和の情緒あふれるスポットです。優美な曲線を描く日本庭園の形式を取り入れた「和洋折衷」の設計に、本多静六のこだわりが光ります。

池の中央には、公園のシンボルとも言える「鶴の噴水」が佇んでいます。
明治38年(1905年)頃に製作されたこの噴水は、装飾用噴水としては日本で3番目に古い歴史を持ち、都内では最古のものです。(1番目は長崎・諏訪神社、2番目は大阪・箕面公園)
冬の寒い朝には、鶴の像につららが下がる幻想的な光景が見られます。
千代田区立 日比谷図書文化館

千代田区立 日比谷図書文化館は、戦後に再建された建物ですが、日比谷公園の豊かな緑の中にある三角形のモダンな建築物です。まるでイチゴのショートケーキのようですね。
通常の図書館としての設備のほか、歴史や文化の情報を展示する「ミュージアム」や様々な講座・イベントを行う「日比谷カレッジ」が一体となった複合文化施設です。
日比谷公会堂

日比谷公会堂は昭和4年(1929年)に開館した、重厚なスクラッチタイル貼りの外観が特徴的な歴史的建造物です。日本で最初の本格的なコンサートホールであり、東京市政会館と一体化した構造で、近代建築の傑作として名高く、東京都選定歴史的建造物にも選ばれています。

戦前・戦後を通じて「音楽の殿堂」として親しまれ、世界的な演奏家たちがその舞台に立ちました。現在、大規模改修のため休館中ですが、開館100年となる2029年に利用を再開する見通しです。

日比谷公会堂は経済産業省が認定する「近代化産業遺産」にも選ばれています。
明治以降、日本が近代国家を目指す中で、市民が政治や文化について集まる「公会堂」という機能は不可欠でした。この建物はその先駆けであり、市民社会の成熟を支えた社会インフラとしての価値が認められました。
日本が『一人前の近代国家』になろうと背伸びをしていた時代の熱量がスクラッチタイル1枚1枚に込められているように感じます。

日比谷公会堂の正面に広がる「芝庭広場」は、都会の喧騒を忘れさせる開放的なオアシスです。

青々とした芝生の上では人々が思い思いに寛ぎ、設計者が目指した「市民の憩いの場」としての理想が息づいています。高層ビル群と公園の豊かな緑が織りなすコントラストは日比谷ならではの景観と言えるでしょう。
日比谷門

日比谷公園の真ん中の門である「日比谷門」は、日比谷公園の顔とも言える大噴水の近くにある門ですが、現在は「バリアフリー日比谷公園プロジェクト」に基づく再生整備事業の真っ最中。
そのため、残念ながら、大噴水・小音楽堂・大音楽堂は工事中でした。

開園130周年を迎える令和15年(2033年)まで、エリアごとに段階的に整備されていくとのことです。
歴史を守りながら、未来へ向けて進化している日比谷公園。再生整備事業の完了が待ち遠しいですね。
東京ミッドタウン日比谷

せっかくなので、東京ミッドタウン日比谷の展望フロアから、今日歩いた日比谷公園を俯瞰してみましょう。

6階の「パークビューガーデン」は地上約30メートルに位置する無料の屋外テラスになっており、日比谷公園を180度のパノラマで見下ろすことができます!

心字池や第一花壇もバッチリ見えますね。

もちろん、皇居方面を望むことができます。

日比谷交差点を行き交う人とクルマ。そして、皇居外苑の日比谷濠や馬場先濠まで。
かつての江戸城外郭と近代的なビル群が相まって圧巻の光景が広がります。

屋内にはなりますが、5階エスカレーター前からの眺望もおすすめですよ。
江戸の石垣から明治の洋風建築まで、一歩進むごとに異なる時代の息吹に触れられる日比谷公園。高層ビルに囲まれながらも、首かけイチョウや雲形池が醸し出す静寂は、慌ただしい現代を忘れさせてくれます。
先人たちが守り抜いた緑と歴史の重みを肌で感じることで、いつもの都会の景色が少し違って見えてくるはずです。今週末は「歴史のひとかけら」を探しに日比谷公園を歩いてみませんか。

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