明治10年(1877年)に創設された日本を代表する最高学府『東京大学』って、一体どんな所なのでしょうか。
都会の真ん中にありながら、歴史的遺構や重厚な建築群が共存する弥生・本郷キャンパスで知的好奇心を満たすウォーキングへ出かけましょう!

東京メトロ南北線・東大前駅1番出口をスタートします🚶🏻➡️

本郷通りの歩道。東大農学部前バス停を通過します。
弥生キャンパス ~ 弥生時代の名前の由来 「文京区弥生」~
農正門(東京都選定歴史的建造物)

農学部のある弥生キャンパスの正門である「農正門」は東京都選定歴史的建造物に選定されています。
もともとこの弥生キャンパスの地には、現在の教養学部の前身である第一高等学校(一高)がありました。一方、農学部は駒場(現在の駒場キャンパス)にありました。

農正門は、農学部が移転した後の1937年に創建されたものです。キャンパス内の建物は重厚なタイル貼りのゴシック様式が多い中、この門はあえて伝統的な日本の「冠木門(かぶきもん)」のスタイルが採用されました。
これは、以前この地にあった一高の正門が木造の冠木門だったため、その伝統や面影を継承しようとしたためだと言われています。
上野英三郎博士とハチ公の像

農正門の近くに立つ上野英三郎博士とハチ公の像は、渋谷駅の待ちぼうけの姿とは違う感動のスポットです。
この場所にハチ公像があるのは、飼い主であった上野博士が東京帝国大学農学部(現在の東大農学部)の教授だったからです。当時、農学部は駒場にありましたが、博士はそこから渋谷駅を利用して通勤していました。ハチ公が毎日渋谷駅まで送り迎えをしていたのは、博士が大学へ行くためだったのです。
大正14年(1925年)5月21日、上野博士は大学で講義中に脳出血で急逝してしまいます。その後、ハチ公は死ぬまでの約10年間、朝夕に渋谷駅に通って帰らぬ主人を待ち続けました。これが有名な「忠犬ハチ公」の物語です。
この銅像は、生前、博士が長期出張から渋谷駅に戻った時、改札口でひとり待つハチ公に驚き、互いにじゃれ合って喜んだ姿を描いています。
弥生キャンパスの歴史(弥生時代 誕生秘話)

本郷キャンパスが加賀藩前田家の上屋敷跡であることは有名ですが、この弥生キャンパス一帯は水戸徳川家の中屋敷・下屋敷だった場所です。
弥生キャンパスは「文京区弥生」にあります。これは水戸徳川家の中屋敷内にあった「三月(弥生)の空」を詠んだ歌碑にちなんで、明治5年(1872年)に「向ヶ岡 弥生町」と名付けられたことが始まりと言われています。
そして、明治17年(1884年)、この付近にあった貝塚から、これまでに見たことのない薄手で堅い土器が発見され、発掘地点の地名をとって「弥生式土器」と名付けられました。
現在も「文京区弥生」という地名が残っており、発掘地点の近く(農学部と工学部の境)には「弥生式土器発掘ゆかりの地」の碑が立っています。やがて、この土器が使われていた時代そのものを指す言葉として「弥生時代」という名称が誕生したのです。
農学部校舎(内田ゴシックとは)


弥生キャンパスを歩くと目に飛び込んでくる多くの校舎は建築家・内田祥三(うちだ よしかず)の設計によるものです。戦前に建てられた農学部の校舎に見られる尖頭アーチの車寄せや、表面に細かい溝模様が刻まれたスクラッチタイルの外壁は、まさに『内田ゴシック』と呼ばれる東大特有の建築様式を象徴しています。この質感が、キャンパス全体に知的な静寂を与えているのかもしれません。

3号館も内田ゴシックの代表作ですが、尖頭アーチではなく丸みを帯びたアーチが連続する「アーケード」のようなデザインになっており、とこか修道院の回廊のような、より静謐で洗練された印象になっています。
3号館は東京都の歴史的建造物に選定されています。
朱舜水記念碑(東京都指定旧跡〉

弥生キャンパスの片隅には、明の儒学者・朱舜水(しゅしゅんすい)がこの地で没したことを示す石碑(東京都指定旧跡)が立っています。彼は「水戸黄門」こと徳川光圀に招かれ、儒学や実学を教授して「水戸学」の形成に多大な影響を与えました。
現在の弥生キャンパスが、かつて水戸藩の中屋敷・下屋敷であったことを証明する重要な歴史的遺構です。異国の地で生涯を閉じ、光圀に深く敬愛された賢者の面影を今に伝える隠れた名所です。
ドーバー海峡大橋

朱舜水記念碑の脇にある階段は、弥生キャンパスと本郷キャンパスを結ぶ陸橋になっています。

弥生キャンパス(左)と本郷キャンパス(右)の間には都道319号がありますが、この陸橋を使えば安全に行き来できます。
この陸橋は学生や教職員の間で「ドーバー海峡大橋」と呼ばれています。
ドーバー海峡とはイギリスとフランスの間に実在する海峡のことですが、ここでは弥生と本郷の間にある “ 境界感 ” を大げさに表現した比喩のようです。
GoogleMapにも「ドーバー海峡大橋」と表示されていることから、愛称としての浸透度の高さが伺えます。
本郷キャンパス ~ 東大のメインキャンパス ~
本郷キャンパスは加賀藩前田家の上屋敷跡に広がる東京大学のメインキャンパスです。赤門や安田講堂に代表される重厚な「内田ゴシック」の校舎が立ち並び、三四郎池などの豊かな緑も共存する、歴史と学問が息づく静謐な空間です。

重厚な内田ゴシックの校舎に囲まれた一角に、突如として現れるガラス張りのモダンな工学部11号館。ここには、歴史的な景観に溶け込むようにスターバックスが入っており、隈研吾氏が手がけたホールも隣接しています。
古市公威(ふるいち こうい)の銅像

工学部11号館の隣に立つ銅像は、“ 日本土木界の父 ”と称される古市公威(ふるいち こうい)の像です。東京帝国大学工科大学(現在の工学部)の初代学長として学問の礎を築いたほか、内務省初代土木局長として河川改修や横浜港の整備など、国家規模のインフラ整備を指揮しました。威厳ある座像は、日本の近代化を支えた彼の情熱と功績を今に伝えるシンボルです。
ジョサイア・コンドルの銅像

工学部1号館前には緑地広場があり、子供たちが駆け回る姿も見られます。

その広場に立つ銅像は、英国人建築家 ジョサイア・コンドルの銅像です。彼は明治政府に招かれた「お雇い外国人」として、東京国立博物館(旧本館)や鹿鳴館などを設計し、日本の近代建築の礎を築きました。また、工部大学校(現・東大工学部)の教授として辰野金吾ら日本人建築家を育成した「日本近代建築の父」でもあります。師弟の情愛を象徴するように、今も工学部の校舎を見守り続けています。
法文1号館・2号館の連続アーチ

本郷キャンパス中央部に位置する法文1号館と2号館には「内田ゴシック」の真骨頂である尖頭アーチが連なる美しい景観が見られます。まるで修道院やヨーロッパの古建築のような回廊は、本郷キャンパスで最もフォトジェニックな場所の一つです。
安田講堂(国の登録有形文化財)

正門から安田講堂へ伸びる通りは、本郷キャンパスを象徴する風景の一つ「銀杏並木通り」です。
紅葉シーズンにはキャンパス全体が黄金色に染まり、黄金のトンネルと「内田ゴシック」の競演は都内屈指の紅葉スポットへと変貌します。

東京大学のシンボルである安田講堂(正式名称:東京大学大講堂)は、1925年(大正14年)に安田財閥の創始者・安田善次郎の寄付により完成しました。
建築家・内田祥三と弟子・岸田日出士による設計で、中世ヨーロッパの城郭を思わせる重厚な「内田ゴシック」様式の最高傑作です。
昭和43年(1968年)の東大紛争では学生と機動隊が激しく衝突する舞台となり、その後の長期閉鎖を経て平成6年(1994年)に改修。現在は国登録有形文化財として、入学式や学位記授与式など、大学の最も重要な式典が行われる場所であり続けています。

安田講堂の入口付近に見られる欠けや傷は、その多くが1969年の東大紛争(安田講堂攻防戦)の際に生じたものです。単なる経年劣化ではなく、歴史の記録としてあえて修復されずに残されています。

安田講堂を横から見ると、その敷地は急峻な崖下にあることが分かります。
安田講堂は地下1階、地上5階建ての構造で、正面入口は3階部分に位置します。本郷台地の高低差を巧みに利用した設計がユニークですね。

安田講堂前の広場の下には「中央食堂」と「第二購買部」がありますので行ってみましょう。

美味しそうなメニューが揃っていますが、中央食堂の名物は「赤門ラーメン」です。

第二購買部ではお土産が販売されています。
営業時間は平日10:00~19:00、土曜11:00~16:00です。(日曜・祝日は休業)

「UTokyo」のロゴが入った、ここでしか買えないレアな品々です。

せっかくなので、安田講堂の裏側も安田講堂の裏側も歩いてみましょう。
尖頭アーチの重厚な石造り と赤レンガの美しい対比。まるで時が止まっているかのような歴史の重みを感じる佇まいです。
濱尾新の銅像

安田講堂の南側に威厳を持って鎮座しているのは “ 東大中興の祖 ” と呼ばれる濱尾新(はまお あらた)の銅像です。濱尾新は第3代および第8代の東京帝国大学総長を務めました。
彼が総長を務めていた時期に各学部を本郷の地に集約し、総合大学のキャンパスとしての整備が大きく進んだことから、東大のインフラの基礎を作った人物とも言えます。東大のシンボルである銀杏並木の植林を推進し、大講堂の位置も濱尾総長の発案といわれています。
三四郎池 ~ 名作小説の舞台 ~

三四郎池は、安田講堂のすぐ南側にある鬱蒼とした木々に囲まれた場所にある心字池(しんじいけ)の通称で、夏目漱石の名作小説『三四郎』の舞台になったことから、いつしかそう呼ばれるようになりました。
主人公の小川三四郎が、都会的な女性・里美美禰子(さとみ みねこ)と初めて出会うのがこの池のほとりです。

三四郎池の正式名称は「育徳園心字池(いくとくえんしんじいけ)」といいます。
池のほとりには「舊加賀藩上屋敷 育徳園心字池」と刻まれた石碑が設置されており、かつてここが加賀藩前田家の大名屋敷であったことを今に伝えています。

池の周りを散歩することができます。

本郷台地の地形を活かした「谷」のような場所にあり、周囲の喧騒が遮断されています。
安田講堂や工学部のモダンな校舎からわずか数分歩くだけで、まるで深い森に迷い込んだような静寂に包まれます。

散策路には滝も見られます。かつての加賀藩邸「育徳園」の庭師たちが、本郷台地の高低差を活かして造り上げたものです。

三四郎池にはカルガモをはじめ、季節によってさまざまな鳥たちが訪れる都会のオアシスになっています。

優雅な鯉たちはもちろんのこと、亀もたくさん生息していますので探してみましょう。

ベンチもありますので、休憩したり読書をしたりすることもできます。

池の周囲に見られる荒々しくも趣のある石組みや配置は、江戸時代の庭園技法を今に伝える貴重な遺構です。「加賀百万石の財力と美意識が、今も東大の真ん中に息づいている」特別な池と言えるでしょう。
赤門(国指定重要文化財)

東京大学の象徴「赤門」は、残念ながら現在は耐震工事です。(2027年9月30日完了予定)
赤門の正式名称は「旧加賀屋敷御守殿門(きゅうかがやしきごしゅでんもん)」で、国の重要文化財に指定されています。文政10年(1827年)に第11代将軍・徳川家斉の娘である溶姫(やすひめ)が加賀藩主・前田斉泰へ輿入れする際に建立されました。将軍家の娘が嫁ぐ際に朱塗りの門を建てる習慣から、赤門の名で親しまれています。

建築様式は切妻造の「薬医門」で、唐破風(からはふ)屋根の番所を二つ備え、大名屋敷の門としては最高格式のものです。度重なる火災や震災を免れた貴重な遺構であり、かつての加賀百万石の威容を今に伝える歴史的ランドマークです。

赤門工事現場の前には「ひらけ!赤門プロジェクト」の横断幕が掲げられており、QRコードから簡単に寄付できます。
復活が待ち遠しいですね。

復活を祈念して、工事前の写真(フリー画像)を貼らせていただきます。

赤門から近い東京メトロ丸ノ内線・本郷三丁目駅の2番出入口は鮮やかな赤色のフレームが特徴的で、多くの利用者に赤門を連想させるデザインとなっています。
さて、今回は「東大散歩」の魅力をご紹介しました。
日本で最初の「近代的な大学」として誕生した東京大学を散歩すると、時代を超えて受け継がれてきた知と美を感じることができます。次の週末は、かつての文豪や若きエリートたちが歩んだ「青春」の舞台を歩いてみませんか。
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