都心に近くて閑静な住宅街が広がる世田谷区。
初春の陽気に誘われて、梅ヶ丘から松陰神社を目指して歩きます♪

小田急 梅ヶ丘駅をスタートします。
羽根木公園 ~ 都内屈指の梅の名所 ~

梅ヶ丘駅から北へ150mにある羽根木公園には約650本の梅の木が植えられており、都内でも有数の梅の名所として知られています。

毎年2月になると『せたがや梅まつり』が開催されています。(訪問日:2025年2月15日)




全ての梅が満開というわけではありませんでしたが、この日は穏やかな晴天に恵まれ、多くの花見客で賑わっていました。

昭和42年(1967年)に世田谷区議会議員に当選した55名の方々より55本の梅の植樹が行われたことがきっかけで、今では都内屈指の梅の名所となったそうです。
ちなみに、小田急 梅ヶ丘駅の駅名は昭和9年(1934年)の開業当時から「梅ヶ丘駅」でした。
梅林があるから梅ヶ丘駅になったんじゃないんですね。。
国士館大学 ~ 吉田松陰との深い繋がり ~

国士館大学は大正6年(1917年)に創設された私立の総合大学です。
国士館大学と言えば箱根駅伝の常連校なので、スポーツに力を入れているイメージですね。

国士館大学の設立趣旨には「大正維新の松陰塾」が謳われ、吉田松陰の顕彰のために校長が発起人となって模造松下村塾(景松塾)を校内に建設し、特別講義に使用されたそうです。

桂太郎 墓所 ~ 世田谷区指定史跡 ~

桂太郎は山口県萩市出身の政治家で内閣総理大臣を3回務めました。
在職日数 2886日は安倍晋三に次ぐ歴代2位です。

吉田松陰を敬愛し、遺言により松陰神社の隣接地にお墓が建てられたそうです。
松陰神社 ~ 吉田松陰を祀る人気の神社 ~

幕末の思想家・教育者であった吉田松陰を祀る神社です。
吉田松陰先生像

吉田松陰先生像は日本近代彫刻の先駆者 大熊氏廣によって製作された石膏像から鋳造されたブロンズ像です。
本殿


吉田松陰は安政の大獄で処刑された後、門下生の高杉晋作や伊藤博文らによって長州藩の所領であったこの地に改葬されたことが松陰神社創建のきっかけとなりました。
松下村塾(模造)

境内にある松下村塾の模造です。
外観・内装とも模造とは思えないほどのクオリティの高さに驚きます。



松下村塾は吉田松陰の叔父である長州藩士 玉木文之進が萩に寺子屋を開き、松下村塾の看板をかけたことが始まりです。


吉田松陰が塾生に教育を施したのは僅か2年半程でしたが、約90名の塾生からは、高杉晋作、伊藤博文、久坂玄瑞、高杉晋作、品川弥二郎、山縣有朋など、明治維新で近代日本の原動力となった多くの偉人を輩出しました。

松下村塾の模造は、昭和13年12月に隣接する国士館校内に吉田松陰を顕彰するため建築されたものです。当時、全ての建築材料を萩で集め、東京へ移送して建築されました。
その後、昭和16年に国士館から松陰神社に寄贈され、平成8年に現在の場所に移築されました。
国士館校内にあった当時にかけられていた「景松塾」の看板も保存・展示されています。
32基の石燈籠


境内には吉田松陰の門下生や縁故者より奉献された石燈籠が立ち並んでいます。

松陰先生他烈士墓所

境内にある吉田松陰の墓所へ向かいます。神社に墓所って珍しいですね。

吉田松陰先生他烈士墓所の入口に建てられている鳥居は、木戸孝允によって寄進されたものです。


墓所修復にあたり、徳川家から謝罪の意を込めて奉納された石灯籠も墓所前に並んでいます。

日が暮れてきましたので、松陰神社を後にして駅へ向かいます。

松陰神社の前に「松陰塾」という学習塾があります。
運営する株式会社ショウインの社名の由来は、やぱり吉田松陰からきているようです。
未来の吉田松陰がこの塾から輩出されることを期待したいです。
東急 松陰神社前駅

東急世田谷線の松陰神社前駅に着きました。
とその時、招き猫のラッピングトレインに遭遇!

世田谷線50周年記念企画のひとつで『幸福の招き猫電車』と呼ぶそうです。

でも、写真を撮ることに夢中になりすぎて乗り損ねたので、幸福を招き入れることは出来ませんでした。。

最後にサプライズもあり、楽しい一日でした。
招き猫で有名な豪徳寺もこの路線沿いなので、是非あわせてご覧ください!

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