今や世界的な観光地となった秋葉原。その魅力は、電気街やサブカル文化が放つ「喧騒」と、すぐ傍らに息づく「静かな歴史」が織りなすコントラストにあります。江戸の残り香を運ぶ柳森神社から、明治の赤レンガ遺構・旧万世橋駅、そして交通博物館の記憶を刻む足元まで。時代が幾重にも重なるこの街を深掘りする、タイムトラベルのような散歩旅へ出かけましょう🚶🏻➡️

秋葉原は江戸時代、火災から江戸城を守るための広大な「火除地(ひよけち)」でした。火伏せの神を祀る「秋葉神社」が建立されたことが、地名の由来となっています。
明治期には貨物ターミナルの秋葉原駅が開業し、神田川の水運と鉄道が結びつく物流の要所として発展しました。
総武線高架下 ~ 昭和の雰囲気が残る電気街 ~

秋葉原駅の電気街口を出てすぐの場所から続く光景には、昭和を感じる独特の空気が漂っています。

戦後、高架下に出現したラジオパーツの闇市が現在の「電気街」のルーツです。
高度経済成長期の家電ブーム、80年代以降のPC・IT化を経て、現在は世界的なサブカルチャーの聖地へと変貌を遂げた秋葉原ですが、今もこの付近には「昭和の秋葉原」が残っています。
柳森神社 ~ 神田川沿いに鎮座する「おたぬき様」 ~

電気街を抜け、神田川に架かる「神田ふれあい橋」を渡ると「柳森神社」が見えます。
秋葉原付近の神田川は江戸城の外堀として人工的に掘削されました。ここは江戸時代の石垣ではありませんが、その位置や川の曲線は江戸城の巨大な防衛ラインをそのまま形作っています。

江戸時代、この周辺の神田川沿いには水害を防ぐための「柳原土手」が築かれていました。
まさに、今立っている場所は人工的に築かれた土手であり、鳥居の先にある境内が道路より低い位置にあります。

柳森神社はその土手に沿って創建されたため、「道路から階段を下りて境内に入る」という、全国的にも珍しい「下り宮」の形式をとっています。
柳森神社は室町時代に太田道灌が江戸城東北の鬼門除けとして、京都・伏見稲荷大社を勧請して創建されたとされています。
また、人気アニメ『STEINS;GATE(シュタインズ・ゲート)』に登場する「柳林神社」のモデルといわれていることから、聖地巡礼の参拝者も多い神社です。

その最大の特徴は、境内社である福寿神に祀られた「親子狸」の石像、通称「おたぬき様」です。
福寿神は五代将軍・徳川綱吉の生母である桂昌院が、江戸城内に創建したのが始まりとされます。
狸が「他を抜く(たぬき)」という言葉に通じることから、勝負運・出世運・商売繁盛の神様として古くから信仰されてきました。特に、八百屋の娘から将軍の母へと上り詰めた桂昌院の強運にあやかろうとする参拝客が今も絶えません。
万世橋駅跡 ~ 幻のターミナル駅 ~

万世橋は秋葉原電気街の南端に位置し、神田駅周辺と結ぶ橋です。
明治36年、かつてここには日本橋にも負けない石造りの美しいアーチ橋が架かっていましたが、大正12年の関東大震災で崩落したため、昭和5年に現在の鋼鉄製の橋に生まれ変わりました。
秋葉原の電気街を背にして立つ重厚な親柱は、誕生から今日まで、変わりゆく街の姿を見守ってきました。親柱に設置されたレトロな街灯のデザインは、明治期の初代万世橋の面影をどこか残しています。戦火をくぐり抜けてきた石の質感には、近代東京の力強い歩みが刻まれているようです。

万世橋駅は明治45年(1912年)に開業し、昭和18年(1943年)に営業休止となった“ 幻のターミナル駅 ” です。美しい赤レンガ造りの高架橋が、現在は商業施設(マーチエキュート神田万世橋)として再生されています。

マーチエキュート神田万世橋の1階フロアは、かつての駅のプラットホームをイメージさせるウッドデッキや、アーチ状のトンネルが連続するデザインになっています。
これはフォトスポットとして魅力的ですね 📸

昭和初期の重厚な石造りの万世橋の背後に、秋葉原のサイバーなビル群がそびえ立つ構図は、東京という街のダイナミズムを象徴しています。

マーチエキュート神田万世橋は神田川に面したデッキに出ることもできます。

施設内には「100年前の万世橋駅」を再現したジオラマや、発掘された当時のレンガ壁なども展示されており、歴史好きにはたまらない空間です。

夜のバージョンは幻想的ですね。

ジオラマにも再現されているように、万世橋駅前広場には日露戦争の英雄・広瀬武夫中佐(上)と杉野孫七兵曹長(下)の巨大な銅像が立っていました。明治43年(1910年)に建立されたこの像は、彫刻家・高村光雲らが手掛けたものです。
旅順港閉塞作戦の撤退間際、行方不明の部下・杉野を捜して船内を三往復し、ボートへ移った直後に敵弾を受け、海に散った軍神・広瀬の物語を象徴しています。
日本初の「軍神」の像として東京最大の観光名所となり、当時は周辺の絵葉書に必ずと言っていいほど描かれていました。しかし、終戦後の1947年、軍国主義的な象徴の排除を目的としたGHQの指令により撤去されました。

一旦、外に出て「1912階段」を上がりましょう。


1912階段は、明治45年(1912年)4月の万世橋駅開業時に作られた階段で、当時のままの姿で保存・利用されています。

階段部分は花崗岩や稲田石を削りだした重厚なものですが、踊り場部分には当時としては新素材であったコンクリートが使われています。また、壁面のタイルは覆輪目地という高級な施工がされています。

2階にある「2013プラットホーム」に出ました。
旧万世橋駅の開業時に作られたプラットホーム部分を整備してデッキとして再現されています。

プラットホームの脇を中央線の電車が次々に通過します。
電車の乗客からこちら側はどのように見えているのでしょうか。

2013プラットホームの工事の際に旧万世橋駅ホーム土中から発見されたホームの屋根を支えていた土台部分の遺構が展示されています。これは古くなったレールを転用して作られたものです。

プラットホームの端までくると、神田方面の線路がカーブしている様子を確認することができます。

ちょうど、神田方面から下り列車が来ました。ここは絶好の撮り鉄スポットかもしれませんね 📸

旧万世橋駅にあるもうひとつの階段「1935階段」は、昭和10年(1935年)に隣接する鉄道博物館の新館が建設されることに伴って作られた階段です。1935階段はコンクリートが主流になりつつあった時代の機能的で簡素な作りです。

階段の踊り場には万世橋駅が歩んだ歴史に関する解説板が設置されています。
万世橋駅の駅舎は初代(1912~1923)、二代目(1925~1935)三代目(1936~1943)と短い周期で再建されています。
- 初代:中央本線のターミナル駅に相応しい風格で繁栄するも関東大震災で焼失。また、1919年に中央本線が東京駅まで乗り入れ、中間駅となる
- 二代目:関東大震災で焼け残った1階部分を利用して再建するも、初代と比べて簡素な姿になる。
- 三代目:建物の大部分が鉄道博物館となり、駅の規模はさらに縮小。

初代の万世橋駅に設置された豪華な1912階段は鉄道博物館への特別来館口となり、電車の乗降には簡素な1935階段が使われることになりました。
万世橋駅の主役が鉄道博物館となり、駅は脇役となったという歴史の移り変わりを象徴する遺構なのです。

光が反射して分かりにくいですが、万世橋駅が休止となった後も残されていた駅貼りポスターの復元が展示されていますので、昭和のノスタルジーに浸ることができます。
交通博物館跡 ~ 時代を超えて愛された博物館 ~


万世橋駅跡の前にはJR神田万世橋ビルという近代的なビルが建っていますが、ここにはかつて交通博物館(旧:鉄道博物館)がありました。
そのことを後世に伝えるため、ビルの公開空地には交通博物館跡を示すモニュメントが設置されています。

江戸時代のこの場所は、筋違門(すじちがいもん)と門前広場でした。
当時の江戸城周辺には多くの見附(見張り番所)が置かれ、主要な36ヶ所は江戸城三十六見附と呼ばれていました。筋違門もそのうちの一つで、江戸市中を出入する人々を監視していました。
「筋違」という名は、日本橋から本郷に通じる中山道(なかせんどう)と、江戸城から上野寛永寺に通じる御成道(おなりみち)が斜めに交差していたことが由来です。

初代万世橋駅は明治45年(1912年)4月1日に開業しました。
当時の最新技術で作られた煉瓦アーチの高架線を背にして建てられた駅舎は、壮麗な煉瓦・石積みの2階建てで、駅舎内には食堂も併設されていました。
駅前広場には日露戦争の英雄、廣瀬武夫と杉野孫七の巨大な銅像が建ち、須田町交差点には東京市電の各系統が集まり、中央線電車と市電の乗り換えターミナルとして繁栄しました。
しかし、中央本線が東京駅まで延伸し、中間駅になると乗降客は減少。また、関東大震災後の区画整理で路面電車の経路も変わったため、万世橋駅前は裏通りとなってしまいました。何とか二代目駅舎は完成したものの、初代駅舎の壮麗さは失われました。

昭和11年(1936年)、初代・二代目駅舎の基礎を利用して鉄道博物館(後の交通博物館)が建てられました。
昭和戦前期を代表する鉄筋コンクリート造りの博物館でした。
しかし、万世橋駅の利用者の減少は続き、昭和18年(1943年)に営業休止となりました。
博物館は戦火を逃れ、70年もの長きにわたり多くの来館者で賑わい、鉄道への夢を育み続けました。
しかし、平成18年(2006年)にさいたま市へ移転に伴い、惜しまれつつ閉館しました。

交通博物館跡地の足元を見ると、「万世橋駅の年表」と「駅舎の範囲」を可視化した歴史モニュメントが描かれています。

また、ビルの裏手(万世橋駅舎との間)の地面には、地下に眠る旧駅舎の基礎部分をガラス越しに覗けるスポットもあり、建物が文字通り「歴史の上に立っている」ことを実感できます。
秋葉原歩行者天国 ~ テンション高めのカオスなホコ天 ~

秋葉原と言えば、歩行者天国が有名ですね。
日曜日の午後、万世橋交差点から外神田5丁目交差点までの約570メートルが歩行者天国になります。

【実施日時】
曜日:毎週日曜日
時間:13:00 ~ 17:00(10月~3月)
:13:00 ~ 18:00(4月~9月)
※雨天・荒天・強風、または悪天候が予想される等の理由で中止になることがあります。

見渡す限りの電気街、壁一面を覆う巨大なアニメ看板、そして真上を音を立てて通り抜ける総武線。世界中のポップカルチャー好きを魅了し続ける街のエネルギーを感じます。まさに唯一無二の散歩道と言えるでしょう。
江戸から令和まで、わずか数百メートルの間に100年以上の時が凝縮された秋葉原の散歩道。
一見すると無機質な高架下や橋の親柱にも、よく見れば当時の職人のこだわりや、かつてのターミナル駅としての誇りが刻まれています。喧騒と静寂、新しさと古さ。その矛盾こそが、この街の最大の魅力なのかもしれません。
今週末、あなたもカメラを片手に秋葉原に魅力を探しに出かけてみませんか。

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