難読漢字として知られる「九品仏(くほんぶつ)」(正式名称:九品仏浄真寺)は、その名の通り9体の巨大な阿弥陀如来像が安置された古刹です。
その九品仏周辺の湧水を水源とする「九品仏川」という川を御存じでしょうか。
現在、九品仏川は暗渠化(地下化)され、地上は「九品仏川緑道」として整備されています。
今回は九品仏浄真寺の参拝に始まり、九品仏川緑道の終点まで歩く散歩コースです。


では早速、東急大井町線・九品仏駅からスタートしましょう🚶🏻➡️
九品仏浄真寺(奥沢城跡)

駅を出てすぐ北側に進むとすぐに参道が現れます。

九品仏駅前交差点には「Comme’N TOKYO」という有名なパン屋さんの本店もあります。
本店のシェフ・大澤秀一さんは国際的なコンクールで優勝経験もある腕利きのパン屋さんだそうです。
ここでパンを買って、後ほど公園で食べるのもいいですね。

参道脇には「禁銃猟 警視廳」と記された石柱が立っています。明治〜昭和初期、東京の市街地が急速に広がる中で、人が多い参道や寺社境内の周辺・住宅地などで誤射や事故を防ぐために銃猟が禁止されました。
かつての東京は狸やウサギなどの小動物が普通に生息していたのでしょう。とても歴史を感じさせる石柱です。

九品仏浄真寺の総門です。
九品仏浄真寺は延宝6年(1678年)に、名僧として知られる珂碩(かせき)上人によって開山されました。
広大な境内に建つ3つの大仏殿(三仏堂)には、それぞれ3躯ずつ、合計9躯の阿弥陀如来像が安置されていることから九品仏と呼ばれている寺院です。

浄真寺がある場所は、もともと室町時代の世田谷城の出城であった「奥沢城」の跡地です。


山門(仁王門)をくぐると、東京都内とは思えないほど広大な境内が広がります。


境内の周囲を見渡すと、奥沢城の遺構として境内を取り囲むように高さ数メートルの土塁が現存しています。


本堂に安置されている本尊・釈迦如来像は東京都有形文化財に指定されています。
九品仏浄真寺は「阿弥陀如来の寺」という印象が強いのに、本尊は釈迦如来なんですね。
浄土宗は「南無阿弥陀仏」を唱える宗派ですが、その根底には必ず釈迦の教えがあります。
九品仏の9躯の阿弥陀如来像は、極楽往生の“救いの形”を象徴していますが、その救いの教えを説いたのは釈迦如来です。だから、本堂の中心には教えの源=釈迦如来像が鎮座しているのです。



現在の浄真寺の主要な伽藍が建っている平坦な場所は、かつての奥沢城の「主郭(本丸)」にあたると考えると、この寺院の散策も一味違ったものになりますね。

下品堂・上品堂・中品堂の「三仏堂」に安置されている9躯の阿弥陀如来像も全て東京都有形文化財に指定されています。
浄土教の教えでは、極楽浄土への往生の仕方は、生前の行いによって以下の3段階(三品)に分かれるとされています。
- 上品(じょうぼん):徳の高い修行者など
- 中品(ちゅうぼん):世俗の善人など
- 下品(げぼん):悪業を重ねたが、死の間際に仏を念じた者など
さらにそれぞれが3段階(上生・中生・下生)に細分化されるため、合わせて九品(くほん)と呼ばれています。この3つの堂を巡ることで、あらゆる人々が救われるという教えを体現しているのですね。

本堂の前には白鷺の像が2つ置かれており、「サギソウの絵馬掛け」と呼ばれているそうです。参拝者が願い事を書いた「サギソウ絵馬」を奉納するための場所となっているのですが、なぜ白鷺なのでしょうか。
それは、九品仏浄真寺に伝わる『常磐姫伝説』が関係しています。
戦国時代、世田谷城主・吉良頼康の側室だった常盤姫の悲恋の物語です。
絶世の美女であった常磐姫は、他の側室たちの嫉妬から不貞の疑いをかけられます。身重の体で追いつめられた常磐姫は、身の潔白を記した遺書を一羽の白鷺の足に結び、父のいる奥沢城(現在の九品仏浄真寺)へ放ちました。
しかし、その白鷺は狩りをしていた頼康に射落とされてしまいます。届けられた遺書で真実を知った頼康が急ぎ駆けつけますが、時すでに遅く、姫は自ら命を絶っていました。
その後、白鷺が落ちた跡地から、羽を広げた鷺のような形の白い花が咲き、それが「サギソウ」になったと伝えられています。
白鷺の像の足元にはサギソウの花が咲き、そこから白鷺が飛び立とうとしています。
悲劇のヒロインである常盤姫の純潔や、彼女の魂が白鷺に姿を変えたという物語を参拝者に伝えるシンボルとなっています。


浄真寺(九品仏)の境内には今も「サギソウ園」があり、毎年夏には美しい花を咲かせています。
九品仏浄真寺から「ねこじゃらし公園」へ

九品仏浄真寺を出て、九品仏川緑道の始点「ねこじゃらし公園」へ向かいます。

奥沢城だった頃の土塁が境内外側からも塀越しに確認することができます。

九品仏浄真寺の南側に沿って延びる約150メートルのクロマツの並木は、江戸時代の街道風景を今に伝える貴重な景観として世田谷区の地域風景資産となっています。

一般的な街路樹とは異なり、小道の中央付近に背の高いクロマツが点々と植えられているところが特徴的です。そして、並木道のすぐ北側(浄真寺境内)には、戦国時代の奥沢城の遺構である大きな土塁が残っています。
この土塁とクロマツの並木が一体となり、東京23区内とは思えないような江戸時代の街道を彷彿とさせる風情ある景色を作り出しています。

また、中世の城郭構造では、土塁の外側(敵が来る側)には必ずセットで堀が掘られるので、現在の松並木がある平坦な小道は、かつて空堀であったと推察されます。

戦国時代の終焉とともに奥沢城は廃城となり、1678年に九品仏浄真寺が創建されました。城の遺構である土塁はそのまま寺の境界として利用され、空堀だった場所は埋め立てて生活道路として整備されたのでしょう。
そして、江戸時代から明治にかけて松が植えられ、現在の「クロマツの並木道」という独特の景観へとつながっていったと考えると感慨深いですね。

九品仏浄真寺の西側はクロマツはありませんが、境内を囲むように高い土塁が見られます。

九品仏浄真寺の最西端までくると、参道でも見かけた「禁銃猟 警視廳」の石柱が立っています。石柱の側面には明治三十二年十一月と刻まれた大変古い石柱です。この付近での猟銃は禁止されていたようです。
ねこじゃらし公園 ~ 九品仏川の始点 ~

九品仏浄真寺の境内に隣接する「世田谷区立 ねこじゃらし公園」の名称は、一般的に「ねこじゃらし」と呼ばれている植物(エノコログサ)が、この場所にたくさん自生していたことにちなんでいます。

そして、この公園付近にはかつて「九品仏池」と呼ばれる池があり、そこからの湧水が「九品仏川」の源流となって、自由が丘や緑が丘を通って呑川(のみかわ)へと注いでいました。


公園内には人工のせせらぎ(水路)があり、子供たちが元気に遊んでいます。
このせせらぎは単なる遊び場としてだけでなく、この場所が「水の湧き出る源流部であった」という歴史を記憶し、再現するためでもあります。

そして、九品仏川を暗渠(あんきょ)化した「九品仏川緑道」はこの公園から始まっています。
九品仏川緑道

それでは、緑豊かな九品仏川緑道を下流へ向かって歩いていきましょう🚶🏻➡️
昭和49年(1974年)に暗渠化された九品仏川の上に整備された全長約1.6kmの遊歩道。 世田谷区奥沢の九品仏浄真寺付近を水源とし、自由が丘・緑が丘方面へと続く川の流れを、そのまま地上の緑道として辿れるようになっています。目黒区と世田谷区の境界を跨いでおり、場所によって雰囲気が大きく異なる。

公園を出てしばらくは板張りの趣ある遊歩道が続きます。

やがて一般道と合流しますが、街路樹を挟んで左側が暗渠でしょうか。

かつて川だったことを想起させるようなカーブです。

ここから先は両側に一般道、中間に緑道が整備されています。

緑道脇に立つ案内板によると、この交差点には「城向橋」という橋があったことが分かります。
ここから南へ250mの場所に「奥沢城(現:九品仏浄真寺)」があるため、九品仏川に橋が架けられたのでしょう。

戦国時代、こんな感じの橋が架かっていたのでしょうか。

緑道の所々に椅子がおいてあり、休憩できるようになっています。

川だったことをイメージしているのか、左右交互に植え込みがあって緩やかなカーブの歩道を形成しています。
また、自転車の乗り入れが禁止されているので、とても歩きやすいです。

自由が丘駅が近づいてきたところで「鷺草の里」と書かれた石碑があります。
この石碑は、世田谷区の花である「サギソウ」にゆかりの深い場所であることを示しています。

このエリアが「鷺草の里」と呼ばれる最大の理由は、先ほど説明した九品仏浄真寺に伝わる『常盤姫伝説』にあります。
現在は住宅街として整備されていますが、かつての九品仏川周辺は湿地帯や低地が多く、夏になると可憐なサギソウが自生していたと考えられます。

自由が丘の主要道路である「学園通り」と交差する場所に「鶯谷橋」の名前が残されています。

九品仏川が暗渠化された際、多くの橋が撤去されましたが、「鶯谷橋」の表記はここに川があり、橋が架かっていたことを示す貴重な遺構と言えるでしょう。

学園通りの向こう側には東急・大井町線の線路が見えます。
電話ボックスの脇にある丸い石柱は橋の欄干をイメージしたものでしょうか。

大井町線と交差する手前で、九品仏川緑道は線路に阻まれます。
しかし、この線路の下を九品仏川の流路が残されているはずです。

大井町線の踏切を渡って、線路の向こうに続く九品仏川緑道へ戻りましょう。

すぐに九品仏川緑道に戻ることができます。

自由が丘駅に近づくにつれ、人通りが多くなります。

東横線の高架下には自由が丘駅の歴史を解説したパネルが設置されています。
昭和2年(1927年)に開業した『自由が丘駅』。 当初は九品仏浄真寺の最寄駅だったため、駅名は『九品仏駅』でした。
開業から2年後に大井町線・九品仏駅が開業したため、『自由ヶ丘駅』に改称しました。
「自由ヶ丘」の名は、この駅の近くにある「自由ヶ丘学園」に由来します。
のちに、正式住所が「自由が丘」となり、今の駅名になりました。

見ている人はほとんどいませんが、なかなか勉強になる展示です。

反対側の壁面にはアフロヘアの女性の絵が描かれています。 自転車が気になりますが💦
この高架下のスペースを利用した屋外ギャラリーは 『自由が丘緑道ギャラリー』と呼ばれています。

高架下を抜けると石畳と並木道が特徴的な『マリ・クレール ストリート』になります。
「自由が丘=おしゃれな街」というイメージを象徴するスポットの一つであり、かつて川が流れていたことを感じさせるものは少なくなっています。

昭和57年(1982年)、フランスのファッション誌『marie claire(マリ・クレール)』とライセンス契約を結び、日本で初めて雑誌の名前が通りに冠されました。 当時、自由が丘をフランスの街角のような雰囲気にしようという街づくりの一環で命名されたものです。

九品仏川緑道は世田谷区と目黒区の区界になっており、この画像の手前が目黒区、奥が世田谷区になります。
暗渠となった現在、手前のベンチは目黒区、奥のベンチは世田谷区となるのでしょうか。


『マリ・クレール ストリート』が終わっても、九品仏川緑道はまだまだ続きます。

駅に近いこともあり、駐輪場のようになっていますね。
若干、緑道に乗り上げている自転車もありますが、散歩に支障はありません。

途中、所々で緑道が途切れています。この画像で横たわっている古いコンクリートは、かつての橋の縁石の名残ではないかと思われます。

住宅街の中に入ってきて、川のようなカーブも見られるようになりました。
また、緑道の両側にある柵を支える古いコンクリートは、川だった時代の名残のように見えます。

地面もアスファルトではなく、土になっていきます。

ここで再び東急・大井町線の線路に当たってしまいました。
九品仏川緑道もここまででしょうか・・

安心してください。線路の向こうに緑地が見えます。
九品仏川は線路の下を通っているのです。

踏切を渡るとすぐに緑道に戻ることができます。

緩やかなカーブが続きます。この辺りまで来ると完全な住宅街で、歩ている人もほとんどいません。

一般道と緑道を隔てる年季の入ったコンクリートは、九品仏川が暗渠化される前からある遺構でしょうね。

この辺りは、一般道と比べて緑道の方が若干低くなっていて、川の名残が感じられる部分ですね。

この辺りは川がかなり蛇行していたようです。


それにしても、この緑道はいったいどこまで続くのだろう・・と、何だか不安になってきます😓

ようやく、住宅街を抜けて前方に陸橋が見えてきました。


陸橋の下をくぐって、ゴールイン! いや~お疲れさまでした!😅

東急大井町線・自由が丘駅の隣にある緑が丘駅です。
自由が丘駅と比べるとかなり落ち着いた雰囲気の橋上駅です。

と、その時、よく見ると駅前交差点から緑道らしき道を発見!
まだ九品仏川緑道は終わっていなかったのです・・

ここまで来たら、とことん終点まで歩こうではありませんか🚶🏻➡️

と思っていたら、すぐに行き止まり。
可愛らしい動物の遊具がある公園になり、またしても緑道が線路に阻まれています。

これは東急・目黒線ですね。

そして線路の反対側を見ると緑道っぽいものが見えます!
近くの踏切を渡って、反対側まで行ってみましょう!

その前にこの付近の塀を見てみると、かつての九品仏川の遺構らしき部分が随所に発見できます。
このコンクリート塀は、きっと九品仏川がかつて地上を流れていた時代の「護岸(ごがん)」の跡ですね。
四角いパネルを並べたような凹凸のあるデザインは、昭和中期によく見られたコンクリート護岸の典型的な形式なのです。
さらに左端に見える小さな丸い穴は、背後の地盤から出る水を抜いて護岸が崩れるのを防ぐための「水抜き穴」です。川だった頃のインフラとしての機能がそのまま残っています。

こちらの壁はどうでしょう。
護岸の上にさらにブロック塀が継ぎ足されている様子は、かつての公共空間(川)と私有地の境界線が、今もそのまま残されているんですね。
そして壁から延びる塩ビ管などのパイプは、かつて近隣の家々から川へ直接水を流していた生活排水や雨水の放出口だったものです。
現在は暗渠の下にある下水道などにつながっているはずですが、かつてここが「水の行き先」であったことを示す証拠と言えるでしょう。

大井町線と目黒線の立体交差が見れる踏切を渡ります。

九品仏川緑道に戻ってきました!

振り返ると先ほどいた動物の遊具がある公園が見えます。
九品仏川はちゃんと線路の下を通って繋がっているんですね。

緑道の真ん中に設置された遊具はキリンですね。キリンってこんな座り方でしたでしょうか・・

いよいよ終点が近づいてきました。最後の直線です!

呑川(のみがわ)という川と合流するところで九品仏川緑道は終点となります。

呑川は世田谷区の桜新町付近を水源とする二級河川です。
呑川が本流で、九品仏川は呑川の支流という関係になっています。

呑川も上流からここまでは暗渠になっており、九品仏川が呑川に合流する地点には黒いのれんのようなもので隠されているため、見ることはできません。

この先、呑川は目黒区・大田区を通って東京湾へ注がれます。

九品仏川緑道の終点は呑川緑道の終点でもあります。
2つの暗渠化された川筋に緑道が整備されたことで、自由が丘周辺の緑豊かな街並みがつくられているのです。

地下道を通って目黒線をくぐると緑が丘駅です。

今回の散歩では、九品仏浄真寺の静謐な境内に残る奥沢城の土塁に中世の面影を感じた後、かつての川筋に整備された緑道を辿りました。
自由が丘の華やかな街並みの足元に、かつてこの地の暮らしを支えた九品仏川が暗渠として息づいている――。そんな地形の変遷と都市の重なりを肌で感じる、贅沢な散策となりました。
古刹の歴史と近代的な都市景観が交差するこのルート。
皆さんもぜひ、「かつての川の記憶」を辿る旅に出かけてみませんか。
にほんブログ村
