東京の中心にありながら、一歩足を踏み入れれば豊かな緑と歴史の息吹に包まれる「皇居東御苑」 。
かつての江戸城本丸・二の丸・三の丸の跡地に広がる総面積約21万㎡を誇る広大な庭園は、四季折々の美しい自然を楽しめる絶好の散策スポットです !
正門にあたる「大手門」からスタートして自然豊かな「二の丸雑木林」まで 、ガイドマップを片手に見どころを巡ってみました。都会の喧騒から離れてのんびり歴史散歩に出かけてみましょう🚶➡️

最寄りは東京メトロ大手町駅のC13b出口です。

大手門交差点では既に多くの観光客の姿が見られます。

交差点を渡って、振り返ると大都会の景色✨

内堀通りに沿って半時計回りに走る皇居ランナーの姿もすっかりお馴染みの光景ですね。
では、大手門から入園しましょう!
大手門 ~ 江戸城の正門 ~

大手門は江戸城の正門で、諸大名がこの門から登城しました。門の建設は築城の名手として知られる藤堂高虎が行ったとされています。

大手門は手前にある高麗門と奥にある渡櫓門で構成されており、最大の見どころは、城郭特有の非常に堅固な桝形構造です。



高麗門をくぐっても直進することはできません。右手に折れた先に巨大な渡櫓門がそびえ立ち、四方を石垣と城門で囲まれた四角い広場(桝形)が現れます。これは、直進して攻め込もうとする敵の勢いを鈍らせ、周囲の石垣の上から一斉に攻撃を加えるために造られた強固な防御陣地になのです。
この桝形の中に一歩足を踏み入れるだけで、一気に江戸時代へとタイムスリップしたかのような厳かな空気に包まれます。
皇居三の丸尚蔵館 ~ 皇室ゆかりの名宝を守り伝える博物館 ~

大手門をくぐってすぐ右手に見えてくるのが「皇居三の丸尚蔵館」です。ここは代々皇室に受け継がれてきた貴重な美術品や絵画、工芸品などを収蔵している施設ですが、現在は新施設の建設工事に伴い休館中です。
令和8年(2026年)の秋の全面開館の予定だそうです。楽しみですね😊
館内には入れないのですが、館外の案内板に興味深い案内がありました。
皇居三の丸尚蔵館の新築工事に伴い、これまで存在が確認されていなかった石垣が発掘されたそうです。皇居三の丸尚蔵館の敷地はもともと江戸城の堀があったためです。記録によると、寛永12年頃の二の丸拡張に伴い、堀の位置が変更されたのですが、今回発掘されたのは二の丸拡張が行われる前の江戸城最初期の石垣であるとのこと。貴重な江戸城最初期の石垣自体は、後世に残すため原位置のまま埋め戻されて保存されています。
この建物の真下に江戸城最初期の石垣が眠っているかと思うとロマンを感じますね😌

また、それとは別に「過去に石垣を構成していたと考えられる石」が、尚蔵館の建物の外構(アプローチ部分)に配置されています。左側の大きな石の上面には、石を切り出す際にノミを打ち込んだ跡である「矢穴」が綺麗に残っているのが確認できますね。
大手休憩所(売店)

皇室三の丸尚蔵館の向かい側に休憩所兼売店があります。ここでしか手に入らない貴重なオリジナルグッズやお土産類が豊富に販売されています。

ここでパンフレットをもらっておきましょう。ガイドマップ付きの便利なパンフレットですよ。
大手三の門跡と同心番所

休憩所を出て三の丸尚蔵館を過ぎた正面のところに「大手三の門跡」があり、その内側(右手)に「同心番所」があります。「大手三の門」も元々は桝形門だったそうです。
ここを駕籠に乗ったまま通ることができたのは、尾張・紀伊・水戸の徳川御三家だけで、それ以外の大名はここで降ろされ、同心番所の役人から検問を受けました。

「番所」とは警備詰所のことで、ここでは「同心」と呼ばれる下級役人たちが交代で24時間体制の警備に当たっていました。大手門から入ってきた登城大名の供の者たちがこれ以上進まないよう、ここで厳しく監視・検問していたとされています。
百人番所

同心番所を過ぎると、目の前に圧倒されるほど長大な木造平屋の建物「百人番所」が現れます!
建物の長さは50メートルを超え、「大手三の門」を守る最大の警備詰所でした。ここには「鉄砲百人組」と呼ばれた甲賀組、伊賀組、根来組、二十五騎組の4組が交代で配備され、常に100人の武士が24時間体制で厳重な警備に当たっていました。

常時100人の同心が詰めていたところから百人番所と呼ばれるようになったんですね。
中之門跡

百人番所のすぐ先にある巨大な石垣が「中之門跡」です。中之門の石垣は江戸城の中でも最大級の巨石(35t前後)が使用され、横のラインを綺麗に揃えて並べる「布積み」と呼ばれる技法で積まれています。

中之門跡の向かって右側のスペースには、修復時に交換した石材が展示されています。
この白っぽい石は、瀬戸内海沿岸から運ばれた花崗岩で、幕府の権威を示すために西国大名から献上させたと考えられます。花崗岩は加工しやすく、磨くと非常に美しく仕上がるという特徴があります。

こちらの黒っぽい石は、伊豆半島から運ばれた安山岩です。安山岩はとても硬く、耐久性に優れているため、江戸城の多くの石垣のベースとして用いられました。
大番所

中之門のすぐ内側に構える警備詰所が「大番所」です。
ここには位の高い武士が勤務していました。同心番所や百人番所よりもさらに奥に位置する最終防衛ラインのため、より格上の実力者たちが最後の砦として厳重な監視に当たっていた要所です。
明治期に改築され、作業所として使われていましたが、昭和43年に江戸時代の姿へと復元されました。
中雀門跡

本丸御殿のあった広大な山上エリアへと進む最後の登り坂の途中に構えるのが「中雀門跡」です。中雀門は、将軍の執務空間や生活の場であった「本丸御殿」へ入るための最後の、そして最も重要な正門(渡櫓門)でした。

石垣をよく見ると、表面が黒く変色したり、ボロボロと剥がれ落ちたりしている部分があります。これは幕末の1863年(文久3年)に起きた本丸御殿の火災(文久の大火)の際、中雀門が激しい炎に包まれて焼失したときの名残です。石垣に焼き付いたその生々しい跡から、当時の大火の凄まじさを今に伝えています。
果樹古品種園

中雀門跡を過ぎると、いよいよ本丸跡の広大な広場が現れます。そして、その一角には果樹園があります。

ここにはかつて江戸時代に食用として栽培されていた古い品種の果樹が植えられています。江戸城の跡にふさわしい、入園者にとって興味深いものをという上皇陛下のご発案により、この古種の果樹園がつくられました。

園内には、ニホンナシ、カンキツ類、モモ・スモモなど計14品種がエリアに分かれて栽培されており、中には平成20年(2008年)に上皇陛下が自ら植樹された品種も含まれているそうです。
江戸時代の人々の味覚に思いを馳せながら季節の移ろいを楽しめる、隠れた癒やしの散策スポットです。
野草の島

「野草の島」は果樹古品種園の南側に広がる緑豊かな自然観察エリアです。ここはトチノキやホオノキといった大きな木々の下に、野草や花木が自然に近い姿で育てられている場所です。

木漏れ日が心地よく差し込むエリア内には未舗装の散策路が伸び、東京の真ん中とは思えない深山幽谷のような静けさに包まれます。
富士見櫓

江戸城本丸跡の南端、高さ約15メートルの石垣の上にそびえる櫓が「富士見櫓」です。江戸城に現存する3つの櫓(富士見櫓・伏見櫓・巽櫓)のうち、唯一の三重櫓で、どの方角から見ても美しいことから「八方正面の櫓」とも呼ばれていました。
慶長11年(1066年)頃に創られたのち、明暦の大火(1657年)で焼失しましたが、万治2年(1659年)に再建されました。その後は、再建されなかった天守の代用として、将軍がここから富士山や品川の海を眺めたとされています。(現在は高層ビルが林立したため、富士見櫓から海や富士山を見えなくなっています)
関東大震災による被災や、皇居東御苑公開に伴う大規模な修理を経て、往時の姿を今に伝えています。
本丸大芝生

「本丸大芝生」は皇居東御苑の中心部の開放感あふれる広大な芝生広場です。ここはかつての江戸城の中枢であり、将軍の執務空間や生活の場であった「本丸御殿」が建ち並んでいました。

周囲を豊かな樹木に囲まれた心地よい空間からは、遠くに天守台の石垣を望むことができます。かつての政治・文化の表舞台に思いを馳せながら、散策の途中にのんびりできる東御苑を代表する憩いのスポットです。
松の大廊下跡

「松の大廊下跡」は江戸城の歴史において最も有名な事件の舞台となった跡地です。畳敷きの非常に長い廊下でで、廊下に沿った襖に立派な松や千鳥が描かれていたことから、その名が付けられました。
元禄14年(1701年)3月14日、赤穂藩主の浅野内匠頭が、高家筆頭の吉良上野介に対して刃傷に及んだ「忠臣蔵」の幕開けとなる事件(赤穂事件)がまさにこの場所で起きました。

現在は建物こそ残っていませんが、植え込みの前にひっそりと歴史を伝える石碑と解説板が設置されており、訪れる歴史ファンの想像力をかき立てる人気の散策スポットとなっています。
茶畑

本丸エリアの一角、ゆるやかな斜面に沿って青々とした茶の木が段々状に植えられている風情豊かなスポットです。歴代の徳川将軍は、茶道を武士の嗜むべき重要な教養(武家茶道)として位置づけました。そうした江戸時代の記憶を現代に伝えるために再現されたものなのでしょう。
富士見多聞

「富士見多聞」は江戸城本丸の西縁に位置する、現存する大変貴重な長屋造りの防御施設です。「多聞」とは石垣の上に建てられた強固な長屋のことで、平時には武器や文書の倉庫、戦時には格子窓から敵を狙い撃つ防御壁として機能しました。

明暦の大火(1657年)以降に再建されたと伝えられる富士見多聞は、高さ約19メートルの石垣の上に立ち、かつてはここから富士山が望めました。現在は内部が一般公開されており、歴史好きには欠かせない見どころの一つです😊

本丸御殿内の将軍の日常生活の場である「御休息(ごきゅうそく)」の近くにあったため、「御休息所前多聞」とも呼ばれています。
バラ園

富士見多聞がある丘の前に位置する、日本の野生種や古い園芸種を中心に集めた風情あるバラ園です。
このバラ園は、上皇陛下(当時は天皇陛下)のご発意により平成8年(1996年)に整備されました。大半のバラは、昭和天皇が大切に育てられていたものを吹上御苑から移植したものです。

一般的な洋風のバラ園とは一味違い、竹垣が配されるなど和の情緒が漂う景観になっています。
石室

「石室」は江戸城本丸御殿の大奥があったエリアの脇に位置する、切石で堅牢に造られた地下室のような遺構です。内部の広さは約20平方メートルあり、壁や天井、床に至るまで隙間なく石が組まれています。

その用途には諸説ありますが、江戸城で度々発生した火事など非常の際に、大奥用の調度品や貴重な書類などを避難させた「防火貯蔵庫」であったと考えられています。一方、城が襲撃された際の秘密の脱出路だったという説もあるらしく、興味深い歴史ミステリースポットとなっています。
桜の島

多種多様なサクラが集められた風情豊かな名所です。
皇居東御苑全体には約30品種のサクラがあるのですが、この「桜の島」にはその約半数にのぼる多彩な品種が植えられています。2月に咲き始めるカワヅザクラやツバキカンザクラを皮切りに、ソメイヨシノ、さらには4月に見頃を迎えるカンザン、フゲンゾウ、キクザクラまで、一重や八重の美しい花々が次々と春の島を彩ります。

開花期には品種ごとの花の色や形のちがいを比べながら、長期間にわたって日本の春の情緒を満喫できる人気の癒やしスポットです。
竹林

日本と中国の珍しい竹や笹が美しく生い茂るスポットです。この竹林は上皇陛下のお考えから、平成8年(1996年)に整備されました。昭和天皇へのお印であった「若竹」にちなみ、喜寿の記念などに宮内庁職員から献上されて吹上御苑に植えられていたものをこちらに移したそうです。

園内には、個性豊かな13種類の竹・笹類が植栽されています。
散策路沿いに涼やかな緑の空間が広がり、それぞれの竹が持つ独特な幹の形や色合いの違いを観察しながら、静かな和の風情を楽しめる魅力的な名所です。
天守台

江戸城本丸の最北端に位置する、巨大な自然石を美しく組み上げた天守閣の土台「天守台」です。
徳川家康の入城以来、天守は慶長・元和・寛永と3度建て替えられ、最後の寛永度天守は地上からの高さが約58メートルという日本最大の規模を誇っていました。しかし、明暦3年(1657年)の「明暦の大火」によって焼失。翌 万治元年(1658年)に現在の天守台が再建されたものの、保科正之らの「天守再建よりも江戸の町復興を優先すべき」という提言により、天守台の上に天守閣が建てられることはありませんでした。

現在はスロープを上って天守台の上まで行くことができます。

スロープを上っていくと、かつて本丸御殿が建ち並んでいた広大な大芝生や、丸の内の近代的な高層ビル群を一望でき、江戸の歴史と現代の東京が融合したダイナミックな景色を楽しめる東御苑屈指の人気スポットです。
北桔橋門

「北桔橋門」は天守台のすぐ北側にある、江戸城本丸の裏手を守っていた堅牢な門です。門の名は、かつて有事に備えて跳ね上がる構造の橋(桔橋)が架けられていたことに由来します。

門の前には高さ20m以上の圧倒的な高石垣と、なみなみと水をたたえた美しい平川濠が広がっています。現在は皇居東御苑の出入口の一つとして整備され、往時の強固な防御遺構と、対岸の近代的なビル群が織りなす素晴らしい眺望を同時に楽しめる人気スポットとなっています。
桃華楽堂

「桃華楽堂」は香淳皇后(昭和天皇の皇后)の還暦を記念して昭和41年に建てられた音楽堂です。
テッセンの花弁をかたどった八角形の珍しい屋根が特徴的。8面ある外壁には大きく羽ばたく鳥を中心に、日月星、松竹梅、楽の音などをイメージした色鮮やかな図柄が陶片で描かれており、緑豊かな東御苑の中でひときわ異彩を放っています。
大奥跡

江戸城の本丸御殿は、将軍が政務を行う「表」、私生活の場である「中奥」、そして将軍の正室や側室、多くの奥女中たちが暮らした「大奥」に分かれていました。

大奥は将軍家の血筋を確実に守り繋げるため、将軍以外の男性は立ち入りが禁止された空間でした。現在は華麗な御殿群は残っておらず、天守台をのぞむ開放的な大芝生や散策路へと姿を変えています。のどかな風景の中で、かつての歴史ドラマに思いを馳せられる名所です。
江戸城天守復元模型

本丸休憩所(売店)の南側にある見学施設には江戸城天守復元模型が展示されています。

モデルとなっているのは、寛永15年(1638年)に完成した3代目の「寛永度天守」です。明暦の大火(1657年)で焼失してしまいましたが、残された図面や記録を基に忠実に再現されています。五重6階の建物と石垣を合わせた高さは約60mで、20階建てのビルに相当します。本丸の標高を入れると約80mになり、江戸の町にそびえ立つ豪壮な姿を誇っていました。
展望台(台所前三重櫓跡)

江戸時代、ここには「台所前三重櫓」という櫓がありました。本丸御殿の台所から近かったためそう呼ばれていたそうです。

現在では、二の丸方面の緑や近代的なビル群を一度に見渡すことができる「展望台」となっています。

「江戸城の遺構」と「現代の摩天楼」という、東京ならではの新旧が融合したダイナミックな対比が見られるフォトスポットです📸✨
ツバキ園

皇居東御苑の散策路沿いに位置し、日本の歴史や文化に深く根差した数々のツバキを鑑賞できる風情あるエリアです。
案内板によると、園内には20品種以上のツバキが植えられており、10月から5月まで花を楽しむことができるそうです。ツバキは日本各地に自生しているだけでなく、江戸時代から多くの園芸品種が作り出され、古くから人々に愛されてきました。開花シーズンには江戸の園芸文化の粋と、色とりどりの可憐な花々を間近に感じられることでしょう。
汐見坂


「汐見坂」は本丸と二の丸をつなぐ坂道です。
徳川家康による江戸城築城の頃は、汐見坂の付近まで日比谷入江が入り込んでいました。当時はこの坂の上から広く海を眺めることができたことから、その名が付いたといわれています。往時は防御の要所でもあり、坂の上には「汐見坂門」が設けられていました。
現在は高層ビルが建ち並び、海の気配は全くありませんが、かつては汐見坂から海が見えていたのかと想像すると、東京のダイナミックな変化に改めてロマンを感じます。
白鳥濠

汐見坂の横に見える「白鳥濠」は、江戸城の面影を色濃く残す水堀です。かつて江戸城には本丸と二の丸の間にいくつかの内濠が張り巡らされていましたが、その後の埋め立てにより、往時の姿のまま水をたたえている内濠はこの白鳥濠だけとなっています。
梅林坂

「梅林坂」は汐見坂より北側にある、本丸と二の丸をつなぐ坂です。
文明10年(1478年)、この地に太田道灌が初めて城を築いた際、菅原道真を祀る天神社を建てて数百株の梅を植えたことが「梅林坂」の名の由来とされています。現在は坂の周辺に約70本の紅白の梅が植えられており、毎年12月末から2月にかけて美しい花を咲かせ、訪れる人の目を楽しませてくれます。
平川門

正門である大手門に対し、「平川門」は主に奥女中たちの通用門として使用されていました。

大手門と同様に、高麗門と渡櫓門からなる厳重な「枡形」の防御構造を持ち、敵の直進を阻むクランク状の堅牢な造りになっています。

さらに門の脇には、平川濠の中に伸びた「帯曲輪」と呼ばれる細長い防御用の土堤が繋がっています。
大奥の華やかな歴史と、戦国時代の名残を残す実戦的な城郭建築が同居する、歴史散歩で見逃せない重要な遺構です。
都道府県の木

二の丸の一角には、日本全国の自治体から寄贈された「都道府県の木」が集められて植えられているエリアがあります。これは昭和43年(1968年)の東御苑公開の際に各都道府県から寄贈されたものです。

沖縄県の木(リュウキュウマツ)は、本土復帰を果たした昭和47年(1972年)に植樹されています。東京にいながらにして、日本列島各地の多種多様な樹木を一度に観察できる隠れた名所です。
諏訪の茶屋

二の丸庭園に佇む「諏訪の茶屋」は、明治期の風雅な意匠を現代に伝える美しい茶屋建築です。
案内板によると、元々は明治45年(1912年)に皇居内の吹上地区に建てられたもので、かつてその場所には江戸時代に諏訪社があったことから、この名前が付けられたそうです。その後、昭和43年(1968年)の東御苑公開に伴って現在の二の丸庭園へと移築されました。
周囲の松の木と見事に調和して日本古来の雰囲気が感じられる人気スポットです。
二の丸庭園

江戸時代、この二の丸には小堀遠州が造り、三代将軍徳川家光の命で改修されたと伝わる名庭がありました。その後、たびたび火災で焼失し、明治以降は荒廃していました。現在の「二の丸庭園」は、九代将軍徳川家重の時代に作成された庭園を基に、昭和39年(1964年)に整備されたものです。

四季折々の鮮やかな色彩が池の水面に映え、往時の大名庭園の格調高き美しさを今に伝えています。

二の丸庭園の中心を構成する「二の丸池」には、コウホネ、ヒメコウホネ、ヒツジグサ、アサザの4種類の水生植物が生育しており、初夏から秋にかけて水面を覆い、黄色や白色の愛らしい花を咲かせるそうです。

二の丸池の水面には色鮮やかな錦鯉が優雅に泳ぐ姿を見ることができます。
通常の錦鯉よりもヒレが長い「ヒレナガニシキゴイ」という品種で、上皇陛下のご発案により、日本のニシキゴイと、ヒレの長いインドネシアのヒレナガゴイを交配して生まれたそうです。
新雑木林

「新雑木林」は、「二の丸雑木林を拡張してはどうか」という上皇陛下のお考えに基づき、平成14年(2002)に整備されました。

常緑広葉樹の区画を落葉広葉樹の林に改め、隣の雑木林から種子や昆虫の卵が入った表土を運び入れたほか、野鳥や昆虫の好む樹木を植え、小さな流れも作られました。林内には、上皇上皇后両陛下のお住まいであった吹上御苑から移植されたものを含め、様々な野草が見られます。
二の丸雑木林

「二の丸雑木林」は、東京近郊から失われつつあった武蔵野の雑木林を皇居内に復元しようという昭和天皇のご発意により、昭和58年から3年をかけて造成されました。

武蔵野の雑木林から土壌を移すことで、土に含まれていた植物の根や種子、昆虫、微生物なども一緒に運び込まれました。現在は、大きくなりすぎた樹木の間引きや萌芽更新、林床の下草刈りを行うなど、野草が生育できる環境維持の管理が続けられているそうです。
東京の都心にこんな自然が残っているなんて信じられませんね😲

広大な皇居東御苑をぐるりと一周し、百人番所が見えてきましたね。

再び大手門をくぐると、江戸時代から現代へタイムスリップです!
皇居東御苑をぐるりと一周歩き終えると、まるで贅沢なタイムトラベルを楽しんだかのような心地よい充実感に包まれます。広大な敷地に点在する石垣や、都会の喧騒を忘れさせてくれる庭園など、どれもこの場所が歩んできた歴史を静かに物語っていました。
広大な敷地に歴史的な名所や庭園が整備されていながら、入園料は無料というところも皇居東御苑の魅力です。
皆さんも是非、ガイドマップを片手に特別な歴史散歩へ出かけてみましょう!



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