原宿の賑やかな裏通り「キャットストリート」。お洒落なショップが立ち並ぶこの遊歩道が、かつて水車が回り小魚が泳ぐ「渋谷川」であったことをご存じでしょうか。
1964年の東京オリンピックを機に川の上に蓋が施され、地表から姿を消した水筋。しかし、一見すると普通の街並みの中に、今も川筋特有の緩やかなカーブや護岸の高低差、そして橋の親柱などの痕跡が残されています。
今回は、暗渠となった渋谷川の流路を辿る散歩コースをご案内します。足元に潜む川の記憶を探しながら、若者が集まる街・原宿~渋谷を散策してみましょう。

JR千駄ヶ谷駅からスタートしましょう🚶➡️
「千駄ヶ谷」って変わった名前ですよね。
かつて、このあたりは見渡す限りの茅野原だったそうです。千駄(非常に大量の意)の茅を刈り取ったことから「千駄萱村」と呼ばれ、その後「千駄ヶ谷」と書くようになったそうですよ。
渋谷川の源流(新宿御苑)

広大な新宿御苑にはいくつかの門がありますが、正門は閉鎖されていますので千駄ヶ谷門を目指します。

入園料は一般で500円です。

南エリアの池を目指します。

新宿御苑にはいくつかの池があり、ここは最も標高が低い南エリアにある「下の池」の南東端にあたる場所です。

よく見ると岩の隙間から水があふれ出しています。この水が渋谷川の源流となって橋の下を通り、渋谷の街へと流れていくのです。

池から始まった川の始点には擬木橋が架けられています。

川は蛇行しながら新宿御苑の外(東側)へ向かって流れていきます。
それでは、新宿御苑を出て渋谷川の流路に沿って歩いていくことにしましょう!
新宿御苑から国立競技場へ
玉川上水の余水路と合流(大番児童公園付近)

新宿御苑の外に出た渋谷川の流路は、そのまま南東方向へ流れ、都道418号(外苑西通り)を横切っていきます。

この奥には大番児童公園という小さな公園がありますが、そこで渋谷川は玉川上水の余水路と合流します。

そして、流路を南方向へ変えてJR中央線を横断していきます。この流路は現在もそのまま新宿区と渋谷区の境界となっています。

外苑西通りまで戻って、見上げてみると「新宿区」の標識が立っており、かつて開渠だった渋谷川が区界になっていたことを証明しています。
国立競技場の遊歩道へ

JR中央線の高架下を南へ進みましょう。

渋谷川は国立競技場の敷地の西端を北から南へ流れていました。かつての渋谷川の流路と並行している外苑西通りを南へ進みます。

国立競技場1階の歩道には、人工の水路が整備されています。これはかつての渋谷川を意識して造られたものなのでしょうか。

国立競技場の縦の長さは約350mです。新宿駅のホーム1本よりも長い歩道を南へ進みます。

歩道の途中には1964年・東京オリンピックのゴールドメダリストの名前が刻まれたレリーフも展示されています。さすが、オリンピックの聖地ですね。

人工の水路と歩道が続きます。
国立競技場の正式な所在地は新宿区霞ヶ丘町ですが、かつての渋谷川を跨いで建設されたため、敷地の一部は渋谷区であり、この歩道はギリギリ渋谷区なのです。

ようやく、長い歩道も終わりが見えてきました。
「観音橋」交差点

外苑西通りにある「観音橋」の交差点が見えてきました。

この場所にはかつて「観音橋」という橋が架かっていたのでしょう。現在は橋の面影は残されていませんが、その名前に渋谷川の名残を感じることができます。
国立競技場から都立明治公園へ

観音橋交差点から先は、広場になって空が開けます。
そして、かつての渋谷川を連想させるように歩道の東側の水路もその存在感が増します。

この広場を上から眺めると、ちゃんと川っぽく見えますね。

国立競技場を過ぎると「都立明治公園」です。都立明治公園は、その名の通り、明治神宮外苑のすぐ隣の公園です。外苑西通りに沿ってさらに南へ進みましょう🚶➡️
外苑西通りの東側(左側)は新宿区、西側(右側)は渋谷区です。

都立明治公園の歩道脇にも細い水路と緑地が整備されています。
都立明治公園から渋谷へ

都立明治公園を過ぎたあたりから外苑西通りは少し上り坂になります。水は高いところから低いところへ流れるので、渋谷川も外苑西通りを離れて渋谷方面へ流れていきます。
少し戻って信号を渡り、外苑西通りの西側へ行ってみましょう。

渋谷はその名の通り、「谷」です。谷へ向かって蛇行しながら流れていた渋谷川の流路が、道路のカーブにも表れています。


しばらく進むと道路の片側に広い歩道が現れます。“ 片側だけ広い歩道 ”は暗渠のサインと言われています。この歩道部分は渋谷川の名残でしょうか。
原宿橋の親柱

さらに進むと少し大きい道路にぶつかります。原宿と神宮外苑を結ぶ道路です。交通量が多いので、少し西側にある横断歩道を渡りましょう。

ここにひっそりと佇む石柱は「原宿橋の親柱」です。
※親柱(おやばしら)とは、橋の両端に立つ大きな柱で、橋の名前や装飾が刻まれている柱のこと。

西側の親柱には「原宿橋」、東側の親柱には「昭和九年五月竣工」と刻まれています。
昭和時代、この場所には橋が架かり、その下を川が流れていたことを証明する貴重な遺構です。
キャットストリート(旧渋谷川遊歩道路)

原宿橋を過ぎると、「旧渋谷川遊歩道路(愛称:キャットストリート)」に入り、徐々に若者の姿が増えはじめます。

左手に見える茶色い建物は社会福祉施設「渋谷区りばぁさいど原宿」です。その名前は渋谷川に由来するものと思われます。

「キャットストリート」という愛称の由来は諸説ありますが、「暗渠特有の猫が多いから」という説があります。
猫は暗渠サインの一つとされています。猫が暗渠を好む理由は、車が来ない細長い安全地帯で、人通りも適度に少なく、植栽や段差など隠れ場所が多いためです。現在のキャットストリートは人通りが多く、猫の姿は見られませんが、どこかに潜んでいるのかもしれませんね。

突如出現したコンクリートの土台は渋谷川の名残であると考えられます。
富嶽三十六景「穏田の水車」

この場所は葛飾北斎の浮世絵「富嶽三十六景・穏田の水車」に描かれた場所です。恐らく、黒いワンボックスカーが停まっている辺りに水車小屋があったと思われます。

「穏田(おんでん)」とは、現在の原宿付近にあった旧地名で、かつては渋谷川(穏田川・隠田川)沿いに水車が並ぶ農村地帯でした。
江戸時代、この辺りには渋谷川から引き込んだ水流を理由した水車小屋がありました。洗い物をする女性や亀を連れて遊ぶ子供、穀物を運び入れる男性など当時の住民の暮らしぶりが描かれています。背後には富士山を望むことができたようです。
約200年前、原宿にもこんな風景があったんですね。
原宿周辺では、明治時代中期まで水車を使った精米業が盛んに行われていたそうです。
原宿通りを越えてさらに南へ

キャットストリートと原宿通りが交差する交差点付近から一段と賑やかになります。

引き続き、キャットストリートを進みます。

この辺りは原宿神宮前商店会とも呼ばれ、オシャレな服飾店が軒を連ねています。

車道と歩道を隔てる縁石が現れました。手前の手すりの下にある古いコンクリートの縁石は、かつての渋谷川の護岸の名残と思われます。
ここからしばらく続く縁石の内側(車道部分)を川が流れていたのでしょう。

表参道が近づいてきました。
参道橋の親柱

キャットストリートが表参道と交差するところにある広場は「表参道まちかど広場」と呼ばれ、かつて存在した「参道橋の親柱」が残されています。

広場の案内板にも「参道橋の親柱」や「穏田の水車」に関する説明が書かれています。

西側の親柱にも「さんだうはし」の文字が刻まれています。歴史を感じますね。

よく見ると、奥の方にももう一本の親柱が立っています。(③)
大正9年(1920年)に明治神宮の参道として整備された表参道は、当時としては先進的な「中央に車道、両脇に歩道」を持つゆったりとした道路でした。そのため、「参道橋の親柱」も単に四隅に立てるだけでなく、車道と歩道を仕切るポイントにも配置されてたのかもしれませんね。


現在の表参道は多くの人や車が行き交い、中央分離帯も設置されているため、渋谷川の流路をそのまま進むことができません。

しかし、ご安心ください。すぐ近くに歩道橋が設置されていますので、ここを渡りましょう。

歩道橋の上からは、キャットストリートの渋谷側の入口が見えます。

こちらにも「参道橋の親柱」が2本残されていますね。


参道橋からさらに南へ

それでは、改めてキャットストリートを渋谷方面へ進んでいきましょう。
渋谷駅前の高層ビル群も見えてきましたね。

この辺りは「穏田(おんでん)キャットストリート商店会」という名前の商店街のようです。

車道はアスファルト、歩道はタイル張りになっています。車道の緩やかなカーブは渋谷川の流路の名残でしょうか。
穏田橋の親柱

しばらく進むと、またもや親柱の遺構が残されています。

緑に隠れて見えにくいですが、確かに「穏田橋」と刻まれています。

穏田橋は昭和30年12月に完成した橋ですが、わずか9年後の昭和39年に廃橋(暗渠化に伴う撤去)となりました。(もちろん、昭和30年以前は木造や古い形式の穏田橋が存在していた)
「穏田橋の親柱」は1本しか残っていませんが、かつて渋谷川を挟んで人々が行き来した橋がここに存在していたことを証明する貴重な遺構なのです。
二つの歩道を隔てる護岸跡

穏田橋跡を過ぎるとキャットストリートの西側に階段3段分ほど低い歩道が現れます。二つの歩道を隔てている古いコンクリート壁は、渋谷川の護岸跡ですね。
この辺りは渋谷川にそのまま蓋をする形で暗渠化されたため、かつての川(高い道路)と、かつての川沿いの道(低い歩道)との境目がそのまま段差として残っているのでしょう。とても分かりやすい痕跡の一つです。


しばらく進むと、車道は二股に分かれ、中央に緑道が現れました。この場合、車が侵入できない中央の緑道部分が渋谷川の流路だったと考えられます。
宮下橋の親柱

いよいよ、渋谷川の流路が明治通りと合流します。正面には渋谷の新しいシンボル「宮下公園」が見えます。

明治通りとの合流地点にも渋谷川に架かっていた橋「宮下橋(みやしたはし)」の親柱がひっそりと残されています。親柱は1本しか見当たりませんが、かつて地上を川が流れていた往時の記憶を今に伝えています。

宮下通りを100メートルほど南下すると宮下公園の交差点があります。
かつての渋谷川は宮下公園の東側を流れていたようなので、この横断歩道を渡りましょう。


渋谷川は宮下公園の脇を流れていました。現在は「渋谷横丁」のテラス席が並んでいます。

「渋谷横丁」は2020年8月にオープンした全長100メートルのフード施設です。
全国のご当地グルメとエンタメが楽しめるそうで、昭和レトロな雰囲気が人気とのこと。散歩の帰りに立ち寄りたいスポットですね🍺🍜🍚

渋谷横丁を過ぎたところに、「渋谷川」の説明板が設置されています。(上部のアートパネル「渋谷表参道ウィメンズラン」のパネルは渋谷川とは無関係です)

この遊歩道の下には、渋谷川が流れています。川は、新宿御苑や明治神宮の池を水源としていましたが、玉川上水が完成してからは、その余水をも流すようになりました。
その昔、上流は余水川、穏田川などとも呼ばれ、下流の天現寺橋から先は古川と名を変えて、今も東京湾に注いでいます。
清らかな水が流れていたころには、鮎や鰻などもとれ、また渋谷川とその支流には、いくつもの水車がかかっていました。葛飾北斎が描いた富嶽三十六景にある「穏田の水車」もそのひとつです。また潅漑用水としても利用されるなど、付近の人々の生活に深いかかわりをもっていました。
今では、稲荷橋(JR渋谷駅の南端)から上流は、全て暗渠になっています。
渋谷区教育委員会

それでは、渋谷川の暗渠をさらに進んでいきましょう!

宮下公園を出たところで旧大山街道にぶつかって進めなくなりました…
この先は渋谷駅前ロータリーや高層ビル「SHIBUYA SKY」が立ちはだかっていますので、宮益坂下から迂回しましょう。



都道305号と国道246号が交わる大きな交差点の上のペデストリアンデッキを渡って「渋谷ストリーム」を目指します。


「渋谷ストリーム」に到着です。

デッキから見下ろすと・・ついに渋谷川が姿を現しました!
幅も深さも想像以上で、ちゃんと水が流れていますね。

デッキから降りて、まずは暗渠に架かる最後の橋「稲荷橋」を確認します。

かつてこの付近にあった稲荷神社からその名前がついたという「稲荷橋」は、1990年にプレテンション方式のコンクリート橋として架け替えられました。現在は自動車専用の橋になっているようです。

そして、稲荷橋から渋谷川が開渠となる所までの広場は「稲荷橋広場」と呼ばれ、渋谷ストリームのイベントスペースとしても活用されています。

改めて地上から渋谷川を眺めてみましょう。
結構な深さがありますが、雨の日はどのくらいの水量になるのでしょうか。

ここから渋谷川沿いの600メートルは「渋谷リバーストリート」という遊歩道になっているようです。
暗渠から開渠となった渋谷川は、そのまま南東へ流れ、途中で「古川」と名を変えます。そして、麻布十番や赤羽橋の脇を通り、JR浜松町駅の南側(日の出桟橋・竹芝埠頭付近)で東京湾へ注ぎ込みます。

下流側から稲荷橋広場を見上げると、渋谷川の暗渠出口と渋谷の摩天楼が対照的で、新旧の渋谷が交差する圧倒的な奥行き感を楽しめます。

そして、コンクリートの闇から光のある水路へと一気にひらける境界線は、なんだか秘密基地を覗き込んでいるようなワクワク感がありますね。再開発で綺麗に整備された渋谷ストリームの街並みのすぐ下に、今も確かに川が息づいていることを実感できる場所です。
蛇行した道筋や橋跡といった痕跡を巡る散歩は、都会の足元に眠る歴史の記憶を紐解くドラマチックな発見の旅でもありました。
次回は開渠となった渋谷川がどのように東京湾に注ぐのか、川の水を追う旅を続けてみたいと思います。
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