江戸の情緒と近代文化が重層的に交差する街『御茶ノ水』。楽器の音色とカレーの香りが漂う明大通りを起点に、小栗上野介生誕の地やニコライ堂、聖橋といった歴史の至宝を巡ります。さらに神田川を越え、湯島聖堂から江戸の総鎮守・神田明神へ。地形の妙と多彩な文化が織りなす、このエリアならではの深い物語を再発見する散歩に出かけてみましょう!

JR御茶ノ水駅の御茶ノ水橋口をスタートします🚶🏻➡️

御茶ノ水橋の下を流れる神田川は江戸幕府が洪水対策と物流のために本郷台地(神田山)を人工的に掘削してできた川です。この掘削工事によって発生した土は江戸城の南に広がる日比谷入江(現在の日比谷公園、新橋周辺)の埋め立てに使われました。
また、神田川は江戸城の外堀の役割も果たしました。

「神田川」の渓谷美と、現代の「重層的な鉄道インフラ」が融合した、東京でも屈指の歴史的景観を楽しめる眺望スポットです。
お茶の水の石碑 ~ お茶の水の由来とは ~

駅前交番の隣にある「お茶の水の石碑」
左下の副碑には、この地の歴史と「お茶の水」という名の由来が記されています。
慶長年間、このあたりは「神田山」と呼ばれる山裾で、高林寺というお寺がありました。あるとき、お寺の境内からとてもきれいな水が湧き出しました。その水を二代将軍・徳川秀忠公に献上したところ、「これはお茶にぴったりの素晴らしい水だ!」と大変喜ばれたそうです。それ以来、毎日お寺から将軍家へお茶用の水を届けるようになり、いつしかこの土地自体が「お茶の水」と呼ばれるようになったそうです。

石碑に併設された「蹲(つくばい)」は「お茶の水」という地名の由来になった湧水そのものではありませんが、その歴史的なエピソードを視覚的に表現するために、石碑と一緒に整備されたものです。

実は、「お茶の水(御茶ノ水)」という地名は存在しません。
かつては「神田御茶ノ水」という町名がありましたが、昭和8年の区画整理などにより、周辺の町と合併して「駿河台」などに名称変更しました。
住所としては消えてしまいましたが、JRや地下鉄の駅名をはじめ、お茶の水女子大学(現在は大塚に移転)や御茶ノ水橋などの名前として根付いているのです。
明大通り
世界最大級の楽器店街

御茶ノ水橋から神田方面へ伸びる明大通りは世界最大級の楽器店街です。
明治大学、日本大学、東京医科歯科大学といった大学が集まる御茶ノ水・神田エリアは、古くから学生街でした。大正から昭和初期にかけてマンドリンやギターの演奏が流行し、早くから若者向けの楽器需要が根付いていました。

終戦後、進駐軍が手放したギブソンやフェンダーといった欧米製の高品質な楽器が、周辺の質屋や市場に流れ込みました。これらを老舗店が買い集め、修理・販売したことで「良質な中古楽器が手に入る街」としての地位を確立しました。
学生はお金がない一方で、新しい楽器への憧れが強いため、買い替え時の「下取り」や「中古販売」のサイクルがこの地で自然発生し、楽器店が定着する要因となりました。

また、1937年創業の下倉楽器などが礎を築き、1960年代のエレキ・ブームで爆発的に店が増加。各店が競うように特定の楽器に特化したことで、世界でも稀な「集積効果」が生まれました。

現在では、明大通りのわずか数百メートルの間に約50店もの楽器店がひしめき合う、世界的に見ても珍しい景観を作り上げています。
お茶の水博士のデザインマンホール

明治大学12号館前の歩道には「お茶の水博士」のデザインマンホールがあります。

漫画家・手塚治虫が『鉄腕アトム』のキャラクターに名前を付ける際、御茶ノ水の地名からそのまま取ったのが「お茶の水博士」です。
作中で、お茶の水博士は「科学省」の長官を務めています。 現実の御茶ノ水エリアも、東京医科歯科大学や順天堂大学、明治大学、日本大学といった多くの大学や研究機関が集まる日本有数のアカデミックな街です。この「知性や科学が集結する街」というイメージが、キャラクターの設定と見事に合致しています。


ちなみに、リバティタワー前には「アトム」、第2龍名館ビルの前には「ウラン」のデザインマンホールもありますので、是非探してみて下さいね。
山の上ホテル

明大通り沿いには、東京を代表するクラシックホテルの一つであり、多くの文豪に愛された「山の上ホテル(Hilltop Hotel)」の看板が残されています。

残念ながら、現在は老朽化への対応のため2024年2月より全館休館中(休止期間は当面の間)ですが、歴史的・文化的価値が高い建物としてご紹介します。
この建物は、昭和12年(1937年)に生活文化の向上を目的とした施設「佐藤慶太郎記念育英会館」として建てられました。直線を多用したアール・デコ様式の外観は、当時のモダニズム建築の傑作とされています。上部へ向かって細くなる階段状のシルエットが独特の存在感を放っています。
太平洋戦争中は海軍省の施設として使用され、戦後はGHQによる接収を経て、昭和29年(1954年)に「山の上ホテル」として開業しました。周辺の近代的なビル群に囲まれながら、ここだけが昭和初期のゆったりとした時間を閉じ込めたような佇まいです。

「山の上ホテル」といえば、日本を代表する作家たちが執筆のために「おこもり」をした場所として有名です。
主な常連は、川端康成、三島由紀夫、池波正太郎、伊集院静などです。出版社の編集者が作家を「カンヅメ」にする場所としても知られていました。
三島由紀夫は山の上ホテルに対して「願わくは、ここが有名になりすぎたり、流行りすぎたりしませんように」というメッセージを残しています。また、池波正太郎は、ここの天ぷらやバーをこよなく愛し、多くのエッセイにその名が登場します。
旧山の上ホテルの建物は「山の上ホテル 東京(HILLTOP HOTEL TOKYO)」として2027年夏の開業予定であることが発表されており、開業した際には大きな話題となることでしょう。
カレー店街

明大通りの坂を下ってくると、カレースパイスの香りが漂ってきます。明大通りは、神田・神保町エリアという「日本最大のカレー激戦区」の重要な一翼を担っているのです。

明治大学や日本大学などの学生が多いため、「安くて、旨くて、ボリュームがある」食事としてカレーが定着したことや、隣接する神保町・古書店街で買った本を片手に「スプーン一本で食べられる」ことから、知識人や学生にカレーが愛されたという歴史的背景もあるそうです。

駿河台下交差点まで下ったところで、明大通りも終点。御茶ノ水駅方面へUターンしましょう。
小栗上野介 生誕の地

明大通りを半分くらい戻ったところの交差点を右折します。(山の上ホテルの反対側)

薬局の入口にひっそりと立つ案内板は「小栗上野介 生誕の地碑」です。

小栗上野介忠順は幕末の武士であり、日本の近代化を推進した人物です。
日米修好通商条約批准のため遣米使節として渡米し、地球を一周して帰国しました。その時の経験から日本の近代化の必要性を痛感し、横須賀製鉄所の建設や兵制改革を推進したことで知られます。

また、2027年の大河ドラマ『逆賊の幕臣』の主人公となることが決定し、改めて注目が集まっています。

そのまま甲賀通り抜けて東京復活大聖堂(ニコライ堂)へ向かいましょう。
ちなみに、甲賀通りというのは江戸幕府の隠密部隊である「甲賀組」の屋敷があったことに由来する通りです。
かつて戦国時代に活躍した甲賀忍者の子孫たちは、幕府の鉄砲百人組の一つ「甲賀組」として召し抱えられ、江戸城の警備や市中の偵察・情報収集などの任務を担っていたのです。
東京復活大聖堂(ニコライ堂)

「東京復活大聖堂」は日本最大のビザンティン様式の建造物で、国の重要文化財に指定されています。

幕末にロシアから来日し、日本に正教の教えをもたらしたロシアの修道司祭・聖ニコライ(ニコライ・カサートキン)にちなんで「ニコライ堂」とも呼ばれています。聖ニコライは聖書の日本語訳や東京復活大聖堂(ニコライ堂)の建立に尽力しました。日本におけるキリスト教伝道の先駆者であり、現在は正教会の聖人として崇敬されています。

明治24年(1891年)に竣工したこの建物は、当時の日本において非常に画期的なものでした。
基本設計はロシアの建築家シチュールポフですが、実施設計と施工監理は「日本近代建築の父」と呼ばれるジョサイア・コンドル(鹿鳴館や三菱一号館の設計者)が務めました。

しかし、大正12年(1923年)の関東大震災により、ドームと鐘楼が崩落する甚大な被害を受けたため、昭和4年(1929年)に建築家・岡田信一郎の手によって修復・再建されました。

駿河台の高台に位置しているため、かつては東京中のどこからでもそのドームが見えたと言われています。
江戸時代には「神田山」の一部として武家屋敷が並んでいたこの場所に、明治以降、異国の情緒漂う大聖堂が建ったことは、御茶ノ水の街が「知と信仰の最先端」へと変化した象徴でもあります。
なお、拝観時間であれば、献金(大人300円)することで内部を見学できます。内部の荘厳なイコン(聖像画)や、高いドームから降り注ぐ光は圧巻です!
聖橋 ~ 2つの聖堂を結ぶ橋 ~

聖橋は、神田川を跨ぎ文京区と千代田区を結ぶ、御茶ノ水エリアの象徴的なアーチ橋です。関東大震災からの復興事業として、昭和2年(1927年)に完成しました。聖橋という名称は、橋の北側にある「湯島聖堂」と南側にある「ニコライ堂」という、二つの聖堂を結ぶことに由来します。

設計は復興局の山田守らが担当し、放物線を描くモダンで美しいコンクリートアーチのデザインが大きな特徴です。


橋の上からは、JR中央線・JR総武線・地下鉄丸ノ内線の3路線が神田川の上で立体的に交差する光景は “ 撮り鉄の聖地 ” として知られています。歴史的建造物と重層的な鉄道インフラが融合したこの眺望は、東京を代表する景観スポットであり、撮り鉄に限らず散策に訪れる人々を魅了しています。
史跡 湯島聖堂(昌平坂学問所跡)

聖橋を渡って右手の森の中にある湯島聖堂は、江戸時代の文教政策の中心地であり、「日本学校教育の発祥の地」と称される史跡です。

元禄3年(1690年)、儒教を重んじた5代将軍・徳川綱吉によって、孔子を祀る「孔子廟」として創建されました。その時既に儒学者・林羅山が上野忍岡(現在の恩賜上野公園内)の私邸に、孔子を祀る「先聖殿」を建てていましたが、儒教による文治政治をさらに推し進めるため、聖堂をより広く、格調高い場所へ移設したのです。
参道には学問の神様として知られる孔子の銅像が祀られています。緑豊かな木立の中に佇むその姿は、静謐な空気をまとっています。
中国、春秋時代の思想家で儒教の開祖。仁(思いやり)や礼(社会秩序)を尊ぶ道徳を説きました。弟子が編纂した『論語』は東アジア全域に広まり、日本でも長く政治や教育、自己修養の指針として重んじられています。
聖堂は後に幕府直轄の教学機関である「昌平坂学問所」へと発展し、全国から優秀な人材が集まるエリート養成所となりました。
昌平坂の名は、孔子の生まれた地名(昌平郷)が由来です。

さらに参道を奥へ進むと現れるのが、この「入徳門」です。鮮やかな朱色と黒色が映える美しい門で、大成殿へと続く道筋の起点となります。
湯島聖堂の境内にある建物のほとんどは関東大震災の大火で焼失し、昭和になって再建された鉄筋コンクリート造りですが、この「入徳門」は宝永元年(1704年)に建てられたものがそのまま残っており、大変貴重な文化財です。

「入徳門」を抜けた先にあるのが、壮大な「杏壇門」です。大成殿の前庭への入口となるこの門は、巨大な円柱と精緻な彫刻が施された重厚な造りです。

最後に到達するのが湯島聖堂のシンボルである「大成殿」です。黒漆塗りの外壁と緑色の屋根が特徴的な、荘厳で格式高い建築です。この空間に立つと、まるで中国にいるかのような錯覚を覚えます。(実際、テレビドラマ「西遊記」のロケ地としても使用されています)
明治維新により、聖堂は新政府の所管となり、明治4年(1871年)に文部省がおかれたほか、日本初の博物館である国立博物館(現・東京国立博物館・国立科学博物館)、師範学校(現・筑波大学)、女子師範学校(現・お茶の水女子大学)、日本初の図書館「書籍館」(現・国立国会図書館)などが置かれ、近代教育発祥の地となりました。
現在、湯島聖堂は「学問の府」としての伝統から、合格祈願に訪れる受験生も絶えません。

湯島聖堂に隣接する「文京区立お茶の水公園」は、昭和41年(1966年)に完成した公園ですが、国指定史跡・湯島聖堂内に位置しています。公園になる以前、この場所は日本初の図書館である「書籍館」の一部でした。
現在は普通の公園ですが、近代教育の礎を築いた歴史的な場所なのです。
神田明神(神田神社)

神田明神(正式名称:神田神社)は、730年に創建され、1300年近い歴史を誇る「江戸の総鎮守」です。古くから江戸の街と人々を見守り続けてきた、東京を代表する神社の一つです。

神田明神には、以下の三柱が御祭神として祀られています。
- 一之宮:大己貴命(だいこく様):縁結びの神様
- 二之宮:少彦名命(えびす様):商売繁盛の神様
- 三之宮:平将門命(まさかど様):除災厄除の神様

神田明神は徳川家康が関ヶ原の戦いの際に戦勝祈願を行い勝利したことから、江戸幕府によって手厚く保護され、元和2年(1616年)には江戸城の表鬼門を守護する現在の地へと遷座しました。以後、将軍から庶民まで広く崇敬を集めるようになります。
また、江戸三大祭りの一つ「神田祭」は、祭礼行列が江戸城内に入り将軍が上覧したことから「天下祭」とも呼ばれました。

境内に鎮座する「だいこく様尊像」は、高さ6.6メートル、重さ約30トンで石造りのだいこく様として日本一の大きさ。いつも参拝者の長い行列ができています。

隣接する秋葉原の街も守護していることから、近年ではアニメ作品とのコラボレーションでも知られています。伝統を守りつつ、時代の変化を柔軟に受け入れる「江戸の粋」が今も息づいている神社なのです。

本日のゴールは、JR御茶ノ水駅の聖橋口です。
江戸の情緒と近代文化が重なる御茶ノ水駅界隈は、歩くほどに発見が尽きない街です。時代や国境を越えた「聖地」が隣り合う不思議な景色を、ぜひ皆さんも五感で楽しんでみてください。

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